喉の奥に刺さった魚の骨のように、どうしても、自分の
意識から離れてくれないものが私にはあります。それは、
どうやら周期的に膨らんでくるようで、最近、ちょうどその
時期に差し掛かったような気がします。もちろん、梅雨と
は一切関係はありません。
それで早速、ツイッターで、次のように呟きました。
「出すものなのか掛けるものなのか定かではないが、
『ちょっかい』というものは厄介なものだと思う。ちょっと
した出来心と言ってしまえばそれまでだが、そこには、
底知れぬ尊大(しかも、ほとんどそれに気づくことはな
い)と、自己中心的な世界観が潜んでいる。恐ろしい
ことに、それは国レベルでもある。」
ここで私の念頭にあることは 1910年の韓国併合です。
ツイッターは字数制限が厳しく、いくつかのツイートを重
ねて書くことはありますが、この想いを伝えるのは、とて
も大変なことなので、しっかりとブログ記事で書くことにし
ます。
実は、韓国併合については「別れた夫婦の過ごし方」
というテーマで、奇妙な小説風の物語を描きつつあるの
ですが、あまり上手く行っておらず、書き方を模索してい
る最中です。
そのような事情がありますので、今回のテーマについ
ては、その中で扱うことにしました。
意識から離れてくれないものが私にはあります。それは、
どうやら周期的に膨らんでくるようで、最近、ちょうどその
時期に差し掛かったような気がします。もちろん、梅雨と
は一切関係はありません。
それで早速、ツイッターで、次のように呟きました。
「出すものなのか掛けるものなのか定かではないが、
『ちょっかい』というものは厄介なものだと思う。ちょっと
した出来心と言ってしまえばそれまでだが、そこには、
底知れぬ尊大(しかも、ほとんどそれに気づくことはな
い)と、自己中心的な世界観が潜んでいる。恐ろしい
ことに、それは国レベルでもある。」
ここで私の念頭にあることは 1910年の韓国併合です。
ツイッターは字数制限が厳しく、いくつかのツイートを重
ねて書くことはありますが、この想いを伝えるのは、とて
も大変なことなので、しっかりとブログ記事で書くことにし
ます。
実は、韓国併合については「別れた夫婦の過ごし方」
というテーマで、奇妙な小説風の物語を描きつつあるの
ですが、あまり上手く行っておらず、書き方を模索してい
る最中です。
そのような事情がありますので、今回のテーマについ
ては、その中で扱うことにしました。