難しい国家間の外交や、長い年月に亘って、人類を不幸
にしてきた戦争についてのことを、狭い階段での出来事に
例えることなんて、とてもできることではありませんが、よく
考えてみると、似たようなことにも思えてきます。
 特に、どの国においても、政治家になって、国を動かそう
とする人は、自分の意見を通すために、ある程度の闘争心
を持っていなければなりません。

 それが、戦略的な国家方針や外交戦術を生む原動力に
なっていることも事実です。ただ、それらが、人類を窮地に
追い込んだことも忘れることはできません。
 二度の世界大戦という国際政治の失敗は、彼らの闘争
心が、暴力沙汰に姿を変えてしまうということを証明してし
まいました。そのリスクは、今日の国際政治にも、残念なが
ら引き継がれています。

 もし、階段の上から、いかつい恰好をした人たちが下りて
きたら、どれだけ私に闘争心があると言っても、きっと身を
縮めて、彼らが通り過ぎるのを待つでしょう。やはり、「負け
るが勝ち」です。
 それなのに、今の日本外交は、一途に、集団的自衛権の
行使という道を選んでいます。階段の上で意地を張ろうとし
ているのです。意気地がないと言われても、流血騒ぎにな
らない道を通りたいのですが、現政権が続く限り、どうも、
許されそうにありません。

 私が駅に向かう途中にある階段は、今も平和裏に人が
行き交っています。誰も、武装している様子はありません。
それが平和な社会です。一日も長く、そのような日が続い
てくれることを願いながら、私は、毎日通っているのです。