ニュースの「その後」というものは、本当に、私のような
庶民にはわかりにくいものです。北朝鮮の水爆について
も、私には結局何だったのか、さっぱりわからないままに
なっています。
 他の多くの政治的に不可解なニュースと同様、それは
事実関係はもとより、世界各国の受け止め方や今後の
国際動向に至るまで、不勉強であるということも相まって、
闇の中に隠れてしまっているのです。

 闇の中にある動きだけなら、国際政治には五万とある
でしょう。国家エゴイズムは庶民の生活などは歯牙にも
かけず、パワーゲームのように、危ないバランスを保つ
努力をしているように思えます。
 ただ、そのバランスを壊そうとする、一部の動きもある
中で、北朝鮮の水爆というニュースは、大きなインパクト
を世界に与えたように思えるのです。

 ところが「その後」の沈黙は何を物語るのでしょうか?
私のような庶民には、水面下の動きなどは、知りようが
ありません。見えないだけに、余計に恐ろしく思えるの
は、闇の中を見ているからです。
 人々を恐怖に追い込んだマスコミには、「その後」を
追う責務があると思うのですが、それに応えるだけの
報道がなされているのか、私は大いに疑問に感じて
しまいます。
 所詮、部数が問題で売り逃げ的な姿勢で報道する
のなら、それは三流だと思います。日本の報道が一
流であった時代は、なかったのかもしれませんが、
せめて、日本の将来を担う矜持と気概だけは見せて
ほしいものです。