私の洞窟にいる人たちの関心事は、やはり何よりも洞窟
そのもののことです。どうして自分たちが洞窟にいるのか?
洞窟の目的は何なのか?どれだけ洞窟の空間が広がって
いるのか?などなど。
もちろん、そのようなことに関心を示さずに享楽的な生活
を愉しもうとする人々もいます。けれども、そのような人々
も、どれだけ自分の世界だけに閉じこもろうとしても、未知
の空間である洞窟の影響から逃れることはできないのです。
常に不安がつきまとう洞窟ですから、できるだけ人々は、
一塊(かたまり)になろうとします。身を寄せ合って、国家と
いう幻想の運命共同体を造り出すのです。
そのようなものが一旦できあがると、組織の力を強くしよ
うとする動きが起こります。つまり仲間を増やそうとするの
です。それは、あたかも世界史における植民地時代のよう
に思えます。
そうして、洞窟の中には、一定の秩序が出来上がります。
ただ、それは洞窟の中にできたルールに過ぎないので、
本当は、どこにも正義はありません。力がものを言っている
だけのことです。
ところが、それがいかに幻想であっても、力を信じる人々
の間では、それが正義であるかのようになってしまうのです。
間違って三途の川に落ちようが、皆で動けば怖くはないとの
理屈なのでしょうか?
こうして私の洞窟は、ますます現実の人間社会に似てくる
のです。
そのもののことです。どうして自分たちが洞窟にいるのか?
洞窟の目的は何なのか?どれだけ洞窟の空間が広がって
いるのか?などなど。
もちろん、そのようなことに関心を示さずに享楽的な生活
を愉しもうとする人々もいます。けれども、そのような人々
も、どれだけ自分の世界だけに閉じこもろうとしても、未知
の空間である洞窟の影響から逃れることはできないのです。
常に不安がつきまとう洞窟ですから、できるだけ人々は、
一塊(かたまり)になろうとします。身を寄せ合って、国家と
いう幻想の運命共同体を造り出すのです。
そのようなものが一旦できあがると、組織の力を強くしよ
うとする動きが起こります。つまり仲間を増やそうとするの
です。それは、あたかも世界史における植民地時代のよう
に思えます。
そうして、洞窟の中には、一定の秩序が出来上がります。
ただ、それは洞窟の中にできたルールに過ぎないので、
本当は、どこにも正義はありません。力がものを言っている
だけのことです。
ところが、それがいかに幻想であっても、力を信じる人々
の間では、それが正義であるかのようになってしまうのです。
間違って三途の川に落ちようが、皆で動けば怖くはないとの
理屈なのでしょうか?
こうして私の洞窟は、ますます現実の人間社会に似てくる
のです。