勝負に挑むことは、一般的には褒められることになって

います。逆に、勝負を避けることは、敵前逃亡や卑怯など

のマイナスイメージを与えてしまいます。

 これは、社会の常識が、不条理であることの証であると

思いますが、私自身、このような無言のプレッシャーから

自由の身ではありません。おかしいと思いながら、私は、

社会のパラドックス(逆理:日常感覚的に理解し難い事実

を導く科学的(数学的)推論)に呑み込まれているのです。


 そのことを、端的に現している言葉があります。それは、

人気の言葉で、「努力」「忍耐」などとともに、企業の社是

や、正月に掲げる今年の目標などにも出てくるものです。

 「チャレンジ精神」。今の実力では敵(かな)わないこと

であっても、諦めずに挑戦しようとの意欲です。このこと

は、実際、生きて行く上では必要なことであり、これがな

ければ、人間の向上はありません。

 つまり、「チャレンジ精神」は、人間が成長するための

エネルギーとなるものです。その意味では、社会の常識

が不条理だとは言えないのかもしれません。


 けれども、どれだけ素晴らしいものであっても、常に輝

いているわけではありません。何に対しても勝負を挑む

という姿勢は、時として不適切になると思うのです。

 それなのに、組織が「チャレンジ精神」を強要すること

があるのですが、これは個人の人格を無視した行為だ

と思います。「チャレンジ精神」が毒になる場合があるこ

とを、私は、知っておかなければならないと思うのです。