都議会における不適切なヤジの問題は、まだまだ尾を引き

そうですが、ヤジった人の中で名乗り出た人は、今のところ、

わずか一人だけです。

 その一人も、当初の取材では、白々しく自分ではないなどと

開き直っていたのですから、この病巣は深いところにあると言

わざるを得ません。世界に向けて、何とも恥ずかしいことだと

思います。

 ただ、この問題が大きくなればなるほど、名乗り出にくくなる

こともわからないではありません。ヤジった自分の中には悪意

があったこと、それが非難に値する行為であったこと、そして、

それが恥ずかしいことであることもわかっているのでしょう。


 人間が隠したいことの多くは、このような自分の汚点だと思い

ます。ところが、汚点を隠すという行為そのものが、新たな汚点

になることに気がつかない場合が多いのです。

 私は、都議会議員の場合も、同じような心理が働いているの

だと思います。自分の発言を認めた人が当初は否定していた

ことも、他の人たちが、未だに名乗り出ないことも、この心理的

なメカニズムに縛られているのだと思うのです。


 もちろん、自分の汚点を隠すことが人間らしい感情であるとし

ても、今回の差別発言を許すことはできません。汚点は汚点と

して、その責を受けるべきだと思います。

 その意味では、語るに落ちる議員の外にも、ヤジと失笑の責

にある議員は、潔く自分の汚点を認めなければなりません。そ

れができないのであれば、密かにでもいいから、議員を辞める

べきではないでしょうか。


 隠さねばならないような汚点は、自己変革によって消し去る

ことが王道だと思います。それが難しいことであることもわかっ

てはいるつもりなのですが。