幼ないときの女は、苦労知らずで、とても幸せな毎日を
過ごしていた。豊かな自然の恵みを身体全体に受けて、
すくすくと成長することができた。両親も、ことあるごとに、
幼い女の前で、次のように言っていた。
「可愛く育ってくれればそれでいい。」
生活の中で生じる煩わしいことは、すべて周囲の大人が
取り除いてくれた。そのために、多少は我が儘気味に育っ
てしまったのだが、生来の明るさがあったので、嫌われる
ことはなかった。
そして、これも生まれつきのものだったが、賢明であり、
また努力家でもあったので、嗜(たしな)みのある女性とし
ての魅力を、少しずつ蓄えて行った。
それは、現代的な女性の魅力と比べると、大時代的で
あり、男尊女卑が当然のような価値観の世界でのもので
はあったが、女が育った時代では理想とされたものだった。
現代人である我々から見れば、そのような歪んだ価値観
こそ、旧弊として打ち破らなければならないものなのだが、
時代の間で価値観の議論をしても、それは意味のないこと
である。
このようなことで、女は、両親の想いのままの可愛い女に
育って行った。世の中で起こっていることは、知識としては
何でもわかっていたが、自分が関わる事と関わらないこと
を、本能的に峻別していた。