私は絶対音感とは程遠い世界で暮らしているので、本当
かよくわからないのですが、その鋭い感覚が、普段の生活
はもちろんのこと、音楽をするにしても、災いになることがあ
るそうです。
このように書いておきながら、無責任なようですが、私には
その実感がありません。哀しいことですが、鋭敏な感覚を持
たない者には、さっぱりわからないことなのです。
このようなことは聴覚だけではありません。これも私の苦手
なことですが、味覚についても、同じようなことが言えるように
思えるのです。
テレビ番組でもやっていますが、本当に美味しいものを嗅ぎ
分ける感覚が、グルメの人にはあるようなのですが、私には、
美味しい不味いの二つしかないのです。高級料亭の味でも、
餃子定食でも、美味しいものは横一線なのです。
それでも、味わうことについて、私にコンプレックスはありま
せん。その理由は、味の深みはわからなくても、味覚の満足
は充分に得ることができていると思っているからです。
それなら、高価なものを求めなくても美味しいく味わえる方
が、安上がりで便利だと言うことができるかもしれません。も
っとも、多少、日頃まともな食事をしていない者の負け惜しみ
に聞こえなくもありませんが。
もし、感覚の鋭いことが、あまり人生にとって幸せをもたらさ
ないのなら、苦労して感覚を磨くことに大きな意味がなくなって
しまいます。けれども、そうではないと私は思います。
確かに、感覚が鋭いことが、人生のすべての局面でプラスに
ばかりなるとは思いません。けれども、感覚とは、コントロール
するものであることから、マイナスに作用すね場面では、その
感覚は眠らせておけばいいのです。
それほど簡単なことではないかもしれません。けれども感覚
を磨くとは、そのようなコントロール機能を身に着けることも、
その中に含まれていると思うのです。