この小論を始めるに当って、私は、謙虚というものが、
とてもわかりにくいものであると述べました。それのため、
先ずは謙虚と言われる日本人について考えて見たので
すが、結果的には、わかりにくいことを確認するに留まっ
てしまったように思います。
[ご参考] 「謙虚について1 はじめに」の記事です。
http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11540974573.html
そこで、もっと身近なところから、「謙虚」にアプローチし
直すことにしました。つまり、私自身の中の謙虚を考えて
みようと思うのです。
心の問題を考えるに当って、最も安易な方法が、自分
を被検体にすることです。自分のことはわかりにくいとも
言いますが、冷静になって考えると、やはり自分の心を
観察するのが一番だと思えます。
他人の心は、確かに観察することはできるのですが、
理解できることはあっても、あくまでも想像や推理を前提
としたものです。我田引水的な幻想が入り込むリスクを、
どうしても避けることはできないと思うのです。
もちろん、自分のことだからこそ、見えない部分がある
ことも事実です。自分には甘くなるし、ましてや、そのこと
を文章にして纏めるとなると、現実より少しはいいように
見せたくなるものです。
ただ、文学においては、自分を客観視しなければ、とて
も真実を描くことはできません。ですから、ブログを自分
のサブ文学と位置づける私は、この記事の中で、自分を
飾るようなことはできないのです。
そのように自分に言い聞かせて、真摯に私の謙虚につ
いて見詰めたいと思います。