昨日の国会中継で、野田首相が数年前の演説と現在の政策

の矛盾について問い質されていました。有名な「シロアリ」発言

や、「マニフェスト」についての話です。

 誰が聞いても、私は、この矛盾を言い逃れることはできないと

思っています。もっとも、ここでは政策そのものの是非を論じよう

としているのではありません。


 「私は、そのときそのときに、最善を尽くしています。」


 この野田首相の答弁は、とても巧みなものだったと思います。

正確な言葉通りではありませんが、主張の矛盾を時間の経過

の所為にしたことに違いはありません。譬え数年にせよ、時代

変化の激しさは皆が感じていることです。

 けれども私には、この巧みな言い逃れが、現代における日本

文化の喪失を象徴しているように思えてならなかったのです。

ここにおいても、是非の論議ではありません。昔の日本の伝統

には、いい面と悪い面がありますから、議論は難しいのです。


 戦後、日本文化が失われてしまったことは、どうやら間違いが

なさそうです。日本の文化を精緻に分析したルース・ベネディクト

の「菊と刀」を読むまでもなく、日本文化には「恥」の概念が強く

支配していました。

 ところが、最近は「恥」は恥ずかしいことでなくなっています。

居直り以外の何でもないと思うのですが、むしろ、「恥」を武器

として使うことができるような風潮さえあります。

 テレビを見なければいいのですが、私たちは何度となく画面

で「恥」を知らない人たちの顔を見せられているのです。それが、

私たちの「恥」に対する感覚を、マヒさせているように思えてなり

ません。


 私には、その是非を問いたい気持ちが、募ってきてはいます。

ただ、何がよくて何が悪いのか、明確な解答を見つけることが

できないでいるのです。