私が、こよなく愛するシベリウスには、若い頃から作曲を

発表しなくなった60歳を過ぎる時期まで、ほとんど万遍なく

創作を続けたピアノための小品が沢山あります。

 小品集の曲をばらけると、その数は百曲以上になるそう

です。 シベリウス研究家であるタヴァストシェルナによると、

これらの曲は、およそ、三つの時期に分けられるそうです。

(菅野浩和著「シベリウス生涯と作品」音楽之友社)

 最初の「カレワラによるロマン的段階」はop41まで。次い

で「ヨーロッパの古典的段階」はop58からop76まで。最後

は「普遍的な時期」でop101からop114までとのことです。

 例外的に「中間期」があり、op85からop99までとop34が

挙げられています。この時期の曲は、ピアノ学習用に使え

るほど「簡素で平明な技術的にも難しくない曲」だとされて

いるようです。



 ところが、これらの珠玉のような作品は、演奏会などでも

採り上げられることが、あまりないように思えます。これは、

シベリウスが、あまりにも、交響曲を中心とした管弦楽曲で

名を馳せているためかもしれません。

 もう一つ、大きな理由として考えられるのは、シベリウス

これらの作品に、演奏会的効果を考えていなかったこと

です。地味で普段着の作品は好まれないのかもしれません。



 それで「ほんのささやかな、気取りのない楽興のひとこま」

の、「克苦して書き上げた力作でない」との評(菅野浩和氏)

もあります。ただ、その菅野氏も、「そのゆえにこそ、これらの

気軽な小品の中に……自然の姿のシベリウスの、心の中の、

優しい抒情の一端をうかがい知ることができるといえよう」と

締めくくっているのです。

 けれども、この表現は、私に言わせてもらえるなら、とても

充分な説明になっていないと思います。厳しい言い方をすれ

ば、菅野氏は音楽評論家であるがゆえに、芸術家の創造へ

の姿勢と作品の価値を混同なさっているように思うのです。

 私は、素朴で飾らない音の中にこそ、シベリウスの内省を

見ることができると思っています。交響曲第4番や第7番も、

これらのピアノ小品を聴かなければ、その本当の輝きに心

が震えることはないと思うのです。


[ご参考①] 「カレワラによるロマン的段階」 即興曲op5-5

        舘野泉の演奏です。彼の、若き日の溌剌とした

        音の珠を忘れることができません。

http://www.youtube.com/watch?v=zp0nROYhmZU&list=PLF6CE345CB27C6A20&index=1&feature=plpp_video

[ご参考②] 「ヨーロッパの古典的段階」 樹の組曲op75

         第1曲「ピヒラヤの花咲くとき」

         第2曲「孤独な樅の木」

         第3曲「ポプラ」

         第4曲「白樺」

         第5曲「樅の木」 これは比較的有名です。

http://www.youtube.com/watch?v=G6rBwqrMvgE&feature=relmfu


[ご参考③] 「中間期」 6つのパガテルより「唄」op97-2

        エミール・ギレリスがアンコールで演奏したものです。

http://www.youtube.com/watch?v=sGU5EOuf2DQ&feature=related

[ご参考④] 「普遍的な時期」 5つの小品より「森の湖」op114-3

        アーウィン・ポエルストラの演奏です。本当は、op101-5

        「ロマンティックな情景」かop103-1「村の教会」にしたい

        のですが、適切な動画が見つかりませんでした。

http://www.youtube.com/watch?v=REJ8UH67giw