いよいよ、さしたる安全上の保証もなく、原発の再稼働が

行われようとしています。これは、甚大な被害を招くような

事故は頻繁に起こるわけがないという、甘い見通しによる

としか考えらないことです。

 このことが、野田佳彦首相と3閣僚など、ごく少数の会議

で独断されました。独裁的でない首相による、日和見的な

独裁です。すぐに私は、大東亜戦争を決定した御前会議を

思い浮かべてしまいました。


 首相が原発再稼働を了承するのは、「経済社会の安定と

発展のため、原子力発電は引き続き重要だ。安全が確保

された原発は再稼働させる必要がある。」ということです。

首相は、これを「首相の責任」で判断すると明言しました。

 この理屈は、電力会社や電力に頼る企業の描いている

儲かる社会で通用しているものです。彼らは、投資家たち

しか見ず、短期的な利益だけを追求しています。


 首相の決断は、このように狡猾で近視眼的な経済界が、

世の中を支配していることを示唆しています。政治に手を

伸ばす経済界が、政治家の個人的な意見とは関係なく、

思うがままの社会を実現してしまうのです。

 いつも犠牲になるのは一般市民です。琵琶湖が放射能

に汚染され、歴史ある郷土から追われるリスクは、少しも

減ったとは思えません。わずかな、節電によるマイナスを

避けるために、このリスクは大きすぎるのです。


 現代日本における、「首相の責任」という無責任な独裁

の構図は原発問題だけではありません。防衛予算確保が

本音だと思われる消費税の増税問題、軍事活動の拡大を

狙った領土問題。これらにも、独裁の予感があります。

 驚異的なIT環境の発達は、マイナンバー制度などを持ち

出すまでもなく、独裁者の支配を容易にしています。一旦、

統制社会になってしまうと、一般市民が自由を取り戻すこと

は、とても困難なことになってしまいます。


 私には、御前会議で原発再稼働を独断する構図は、独裁

への危険信号だと思えてならないのです。これが私の杞憂

あれば、これほど嬉しいことはありません。