よく考えてみれば、表面的な姿に憧れるとは、実に中味の

ない話です。まだ、私が中学生だったということは、言い訳

にはなりません。なぜなら、当時の気持ちは、今もなお私の

心の隅に残っているのですから。

私が、人間を見るときに、単なる見た目に強く影響される

のは、すぐには心を見抜くことができないからです。「わずか

なお金しかないときは、まず服装に投資する」と言われるよう

に、人間は、どうしても視覚に左右されるのです。

 本当は、電車で私の前に座った人が、ひたすら仕事に熱中

している姿を見ても、その人の人間性が見えるわけではない

のです。それなのに、その姿に私は惹かれたのでした。


 ずっと昔から私は、人間にとって重要なことは、豊かな魂を

育むことだと確信してきました。何をするにしても、感性こそ、

私の人生を牛耳っていると実感していたからです。

 そのためか私は、自分がお洒落をすることはもちろんのこと、

身だしなみとしての外見にも、あまり構わない生活をしてきま

した。恐らく、私の姿かたちを見た人には、少し怪しげな人物

に見えるのではないかと思っています。


 私は、自分の魂が輝いてさえおれば、どのような服装をして

いても、通じ合うものだと思っています。ただ内重外軽

と割り切っているにもかかわらず、どうしても私には、中学生

だったときの外見への依存心を捨ることができないのです。

ここに、私の大きな矛盾があります。それは、服装や動作

など一見くだらないことです。けれども、実は私の人生観の、

本質的な矛盾でもあるのです。



このような浅はかで半端な気持ちが、私の文学に対する

の先駆けとなったのでした。将来の自分探しという意味では、

少し頼りない気がします。しかも、この課題に対する答えを、

私はまだ見出せないでいるのです。