私が抱いているような、武器を持たない平和主義などは、幻想に

すぎないというのが、これまでの歴史が教える現実でした。恐らく、

これからもそのような時代が長く続くことでしょう。

 人間のエゴイズムが消えることはありません。しかも、「あいつが

するなら俺も」という気持ちは、誰にでもあるものです。エゴイズム

の伝染性は、まことに驚異的なものです。まさに、「悪貨が良貨を

駆逐する」のです。



 その上、悪いことに、エゴイズムに対してはワクチンもありません。

そして、一度感染しても、免疫力は付かないのです。そればかりか、

むしろ、我がままへの抵抗力が弱ってしまうのです。

 そのような中で、どうして武器を持たない平和主義が力を持つこと

ができるでしょう?けれども、それでも私は、これだけは譲れないの

です。平和を希求するという砦がなければ、国家エゴイズムの蔓延

を防ぐことはできません。

現実的ではなくても、武器を持たない平和主義は、降ろすことの

できない金看板なのです。防衛族とは、この看板を降ろそうとする

人々のことです。実は、理想を求める私の中にも、わずかながらも

防衛族の気持ちを理解する部分があります。



 財政が窮している国にもかかわらず、多額の費用を掛けてPAC3

などを配備するのは、日本を軍事大国にしようとするための防衛族

による宣伝です。それは今や、国家政策になろうとしています。

 つまり、防衛族の牛耳る政府は、戦略的に、強硬に軍国化を進め

ているのです。費用のかかる軍事費のために消費税は、待ったなし

アップしなければならないというのが、本当の政府の狙いです。

 平和主義者としては残念なことですが、この政策は与党だけでは

なく、本音では野党も同調しています。政局が混迷していなければ、

消費税は、大多数の政治家が賛成してアップされるのです。



 日本の軍事大国化については、感情的に危機感を煽るのではなく、

もっと基礎的な議論が必要だと思います。どうして、戦後の平和主義

を自虐的な煽情だとするなら、いきなり煽情的な軍国化へ移行するの

でしょう?

 現実問題としての戦争の脅威と比べて、軍事大国化した時に、本当

に戦争の脅威が軽減されるのか、それとも増加してしまうのか?その

経済負担や国民の暮らしはどこまで窮するのか?軍事大国化した国家

のリスクとは何なのか?どうすればそれを防げるのか?

 このような課題が、防衛族や防衛関連産業のエゴイズムの関与なく

議論され、結論として軍事大国化が最善の政策となれば、そのときは、

理想的平和主義者の私も、永年の冠を脱がねばならないと思います。