北朝鮮のミサイル問題は、今や、マスコミが好んで取り

上げるテーマになりました。ほとんどのテレビ番組では、

北朝鮮の衛星打ち上げに対する、国の過剰な反応を批判

することもなく、むしろ危機感を煽る演出です。

 もちろん、コスモポリタンの私でも、真剣に日本の危機を

憂う気持ちはわからなくはありません。現代の日本では、

北朝鮮を仮想敵国と看做すことに反論する人は、ほとんど

いないでしょう。

 どうして、このように北朝鮮は色眼鏡で見られるのでしょう?

それについて私は、これまで巧妙と言われる北朝鮮外交が、

結局は、姑息で稚拙であることの影響だと思います。



 ただ私には、迎撃ミサイルのPAC3を7か所、イージス艦

を三隻も配備するという我が国やアメリカの異様な反応に

は驚かざるを得ません。

それほど、衛星の打ち上げが危険なものだったのなら、

これまで各国で行われていた衛星開発の歴史は何だった

のでしょう?当時、実験失敗のリスクはあっても、このような

大騒ぎにはなりませんでした。

それに、北朝鮮の技術を過小評価するのは、少し差別

意識を感じてしまいます。いったい、このような厳戒態勢を

日本国民にアピールする狙いは何なのでしょう?



 テレビなどでは、北朝鮮衛星をミサイルと呼び、その予想

軌道や配備された迎撃態勢の地図を見せています。テレビ

画面では机上訓練なのですが、現実の軍事行動が伴って

おり、これでは、まさに戦闘状態さながらです。

ところが、このニュースの後、のんびりとしたコマーシャル

や芸能・スポーツなどの話題が出てくる報道姿勢のどこに、

真摯な危機感があるのでしょう?



 このように、戦闘状態同様の過剰反応と現代日本における

生活意識との落差は、驚くほど著しくかけ離れています。私

自身も、実は戦争の危険を実感できていません。

ただ、一つ、一連の報道の結果として、はっきりと言える

ことがあります。それは、これまでのマスコミ報道によって、

間違いなく国民の防衛意識が高揚させられたことです。