恋愛への二つの態度・姿勢のうち、遊び感覚の恋愛から

考えます。ところが、残念なことに、私は遊び感覚の恋愛を

したことがありません。

 失恋の多かった私ですが、私に思い残すことがあるとすれ

ば、これが一番大きなものかもしれません。もっとも、今や、

色恋に現を抜かす時間はなくなってしまいましたが。



 私が遊び感覚の恋愛をしなかったのは、私の青春時代に、

自分の中に少し尊大な確信があったからです。恋愛では、

こちらが遊び感覚であっても、必ずしも相手も同じ感覚とは

限らないと思ったことです。

 自分が遊び感覚であっても、相手が自分を愛してしまうなど

と、真剣に心配するのですから、いかにも、自己中心の誇り

高い青年でした。自己評価が甘いのです。

高野悦子さんの 「二十歳の原点」で、自殺の原因の一つ

に失恋があったことも無関係ではありません。恋愛で自分が

傷つくことより、相手を傷つけることが怖かったのです。



 このように書くと、いかにも、自分が女性にモテたような話に

聞こえますが、実は、さっぱりモテませんでした。モテもしない

いのに、このように思っていたところが、青春期の私の特徴で

あり、思い違いの多い尊大な人間だったという証拠なのです。

 それでもこれは、当時から今に至る私の、一つの愛のかたち

だと思っています。人を傷つけたくないという想いは、モテない

私の矜持でもありました。



 遊び感覚の恋愛は、自分の体験はなくても、友人の自慢話や

フィクションの中で見聞きしました。私の偏見かもしれませんが、

世の中には、遊び感覚の恋愛も少なくないと思っています。ただ、

そこにはゲーム感覚しかありません。

 ゲーム感覚というのは、心の浅い部分にあります。ですから

このような恋愛に傷ついても、容易に切り離すことができます。

時間さえ経てば、その傷は綺麗に完治するに違いありません。

リセットボタンさえ押せば、新たな恋愛に進めるのです。

 もちろん、遊び感覚から真剣な恋愛に進展することもあります。

けれども、その場合でも、恋愛として意味があるのは、気持ちが

真剣になってからのことだと思うのです。