せっかちな私は、電車が停まる少し前に座席を立った。もう、

私の頭は次の行動に切り替えられていた。素早く歩かなけれ

ば、乗換電車で、自分の好きな座席を確保できないのだ。

 ところが件の老女も、私と同じ駅で降りようとしていた。そして、

こともあろうに、両手の荷物を私にぶつけながら、私が少し空け

ていた、ドアとの狭いスペースに割り込んできたのだ。




 負けん気の強い私は、相手が若者なら遠慮なくそのスペース

縮めて、無謀な割り込みを阻止したに違いない。だが相手は、

自分の母を思い浮かべるような老女なのだ。

 私は少し下がって彼女の場所を作った。それは決して、老女に

対する私の優しさではなかった。そのような気持ちより、むしろ、

腹立たしい気持ちが強かった。だから、彼女の後ろ姿に向かって、

心の中では罵声を浴びせていたのだ。




 ところが、何事も忘れっぽい私は、電車のスピードが遅くなり、

プラットホームが見えてくると、不思議なことに、すっかり怒りの

想いは消えてしまっていた。そして、彼女の抱えている重そうな

荷物を、持ってやろうかとさえ考えた。

 駅に着けば階段を上らなければならないから、私は少しでも、

彼女の負担を軽くしたいと思ったのだ。その私らしくない仏心は、

一瞬、彼女の姿に母の面影を重ねたからだった。




 彼女の後ろから、歩幅を狭めて降りた私は、彼女の荷物に手を

伸ばそうとした。だが、勢いよく進む彼女の後姿を見て、私は伸ば

した手を引っ込めた。

 それは、自分の行動が、ひったくりと誤解されることを懼れたから

でも、元気な彼女のエネルギーに圧倒されたからでもなかった。

むしろ、手伝おうとする気持ちを生んだのと同じ理由、つまり、母の

姿を彼女の中に見たからだった。




 私の母は最期まで一人で生活していた。年ごとに弱っていく母に、

私は何度同居を呼びかけたことだろう。「もう少し」を繰り返しながら、

とうとう一人住まいのまま、私の母は亡くなった。

 その母の、生きるための意地のようなものを、私は目の前の老女

に見たのだ。恐らく、マイペースで暮らすことが、彼女の誇りであり、

生きるエネルギーになっているに違いなかった。



 私は、歩幅を広げて、いつものように階段を駆け上がった。いつの

間にか、両手に荷物を抱えた老女は、私の後方になってしまった。

けれども、もう私は、彼女に一瞥もくれなかった。