とうとう、わが国では国民に背番号がつくことになって

しまいそうです。昨日の閣議で、個人識別番号法案が

決定されたのです。今国会で成立するかどうか不透明

でも、いずれ決まってしまいそうな気がします。

 考えてみると、パソコンの普及によって、現代の暮らし

は番号に連動することが多くなりました。その意味で、

この制度は、とても自然に受け入れられるように思えます。

 昔とは違って、個人の番号化は必須とも思える土壌に

なっているのです。これにより、どれだけ社会保障などの

事務的な作業が軽減されるかを思うと、これまで導入され

なかったことが不思議なほどです。


 けれども、疑問や反対意見もあります。プライバシー、

不正使用、国による監視などが懸念されているのです。

確かに番号で呼ばれることを想像するだけで、何かしら

不安に駆られてしまいます。

 けれども、この不安には、被害などの具体性がありま

せん。推進と反対と形勢を考えれば、この制度は、

いずれ実現するような気がするのです。



 ただ、私が懼れていることは、実は、この制度に潜ん

いる、もっと致命的なことです。そのために、この制度は

一旦導入されても、また、放棄されてしまうことになると

私は思っています。

 ところが困ったことに、放棄されるまでには、多くの時間

と大きな犠牲が伴わねばなりません。原発と同じです。

よほどのことが起きなければ、世の中は利便性が優先して

しまうのです。


 私の懸念は、この制度が「国民背番号」と言われた頃

から主張されていたことです。それが今となっては、半ば

黙殺されているように思えるのです。

 その恐ろしさを、私たちは知っておく必要があります。

知ることが、この弊害を防ぐことになるからです。