私の父は、明らかに戦前には常識であった男尊女卑が、

身に付いて離れませんでした。新しい男女同権にも理解が

ないわけではありませんが、どうしても、身体に滲みついた

感覚から抜けることができなかったのです。

 ですから、外では企業戦士として働きましたが、家のこと

は、何一つしませんでした。男の沽券に関わるという意識

のある、最後の年代でしょうか?もっとも、「沽券」などは、

今では、もう死語寸前なのかもしれませんね。


 このような父に対して、母の対応は何とも中途半端でした。

どうしても、幼い頃に叩き込まれた、女性の役割意識が抜け

なかったので。現代の女性から見れば、母の行動は、恐らく

不可解だと思います。

 それでいて、新しい男女同権の考え方にも同調しているの

です。私は、父のいない時に、ずいぶん母の愚痴を聞かされ

ました。それが、私の父への反抗心を育てたと思っています。


 考えてみれば、戦前戦後を生きた人々を襲ったカルチャー

ショックは、本当に残酷なことでした。占領軍による強制的な

価値観の押し付けは、たとえ正しいことであっても、人間の

根を、一旦抜いてしまうことになります。

 しかも、男女同権だけでなく、天皇の人間宣言を始めとして、

家督相続の廃止など、敗戦の影響は、政治から家族の問題

まで広い範囲に及びました。


 そのような混迷の中で、私の両親は新しい家庭を築き始めた

のです。日常生活での夫婦の姿は、むしろ、滑稽なものだった

に違いありません。

 それが、この世の中で、私が初めて見た家族の風景でした。