私は漠然と、自分の思想は人道主義に基づきたいと思って

います。人道主義と言うと、何よりも人道を優先する考え方の

ことです。ところが、これが最近の私には、なかなか厄介な物

のように思えてきました。難しくて、手に負えないのです。

 まず、人道とは何なのかが、実にぼんやりしています。人の

採るべき道、あるいは人間らしい生き方、などかと思うのですが、

これでは、言葉を替えているだけに過ぎません。

 その上、自然災害や原発事故などが起こると、人道などを

語っている余地もないように思えてくるのです。それでも、人道

を優先した政策や賠償を、政府や東電には要求すべきだとも

思うのですが。


 さて、戦争を語る際に、人道主義に基づくとは、どのようなこと

なのかを考えました。戦場での大量殺戮に対して、人道を掲げ

て抵抗することはできません。兵士たちは、命を賭してお互いの

憎しみをぶつけ合っているのです。

 それに、敵味方とも、正当防衛を頭において、法的な超法規と

同じように、まさに超・人道的な思考モードにあります。そこに、

正常な判断を期待することは、無理があるようにも思われます。

 国際法では、東京裁判で問われたように「人道に対する罪」が

あります。けれども、戦場で兵士たちは、何をしても許されるよう

な錯覚を抱きやすい環境に置かれるのではないでしょうか?


 それでも私は、太平洋戦争を語るときの基本姿勢として、人道

主義を掲げたいと思っています。戦争自体、非人道的な行為です

から、その中に人道を求めるのは、意味がないようにも見えます。

けれども決して、そうではないという立場です。

 それは、どれだけ戦場で「常ならぬ」状況下にあるとしても、人間

の判断力や道徳観が変わってしまうとは、どうしても思えないから

です。それでなくても厄介なものですが、戦争の尺度として、人道

を用いないわけには行かないと思うのです。