私は、西洋文化にどっぷりと漬かっていますが、日本文化

への憧れがないわけではありません。ただ、日本文化を理解

する負荷を思うと、何となく重たい気分になるのです。

 その理由を考えても、あまり納得できる答えは、見つかって

いません。奥歯に物が挟まったような表現や、やたらに余韻

を求める独特の「間」に、身体が同調しないのです。


 そのような中で、唯一私が日本文化に触れたのは、弓道で

した。中学でも高校でも、私は弓道部にいたのです。放課後、

巻藁に向かって、ひたすら虚心を求めていたり、早朝練習の

ために始発電車に乗っていた想い出があります。

 何でも、無心に打ち込む年代でした。数人の同級生と一緒

に初段を受け、全員討死。捲土重来、翌年、全員合格したの

に、私だけ落ちこぼれました。昇段試験の二日前に、何でも

ない道で見事に転び、掌が剥けて弓を握れなくなったのです。


 「知静」。この言葉の意味を、ご存知の方はおられるでしょう

か?これは、私が買い求めた弓に付けられていた名前です。

他にも、いろいろな名前のついていた弓がありましたが、引き

心地に加えて、この名前が気に入ったのでした。

 ところが、中学生の私が気に入ったのは、語感だけでした

弓の関係のブログで、この言葉を見たことはありましたが、

意味まではわかりませんでした。

 「静かな知性」、「知は静かなり」などと、勝手な解釈をして

嬉しがっていたことを、懐かしく思い出します。

 私の愛用の弓も、使い古した「ゆがけ」、矢、矢筒も、弓道の

道具は、もう、どこにもありません。けれども、数少ない日本

文化の痕跡が、今も、私の脳裏に鮮やかな姿で残っています。


 竜安寺の石庭、桂離宮の竹垣、夢窓国司などの日本庭園。

なぜか、私にとっての日本文化は、視覚に訴えるものが多い

ように思います。

 最近、日本に生まれ育った私は、もっと日本文化を勉強する

べきだと痛感しています。