太平洋戦争を語るからには、私の立場を明確にする必要が
あります。これは、太平洋戦争関連の書物を読むと、すぐに
わかることなのですが、著者の立場によって、事実の把握や
背景としての認識まで、大きな偏りがあるからです。
現在の私の姿勢は、厳正中立の立場を貫きたいと思ってい
ます。少し気取った言い方になってしまいましたが、要は、何も
わかっていないということです。
もともと、学生時代からノンポリで過ごしてきました。ですから、
歴史観においても、既成の主義主張がないのです。ただただ、
真実が知りたいという態度です。
その意味では、少し物足りないと思われるかもしれません。
その点については、私には弁解の余地がありません。ただ、
私が勉強している間に、自分なりの主義主張が生まれるかも
しれません。そのときは、迫力ある筆致が得られることでしょう。
中立の立場とはいえ、私は、太平洋戦争を肯定するものでは
ありません。あくまでも反戦の考え方です。それでも、中立だと
考えるのは、反戦的な態度が普通の感覚だと思うからです。
私は、太平洋戦争だけではなく、ずっと戦争そのものに対して
反戦の態度を取ってきました。最近でこそ、大昔の生存を賭けた
戦争を、否定すべきかどうか迷うようにはなりましたが。
太平洋戦争を否定するというのは、戦争をするべきでなかった
という態度のことです。あの戦争がもたらした犠牲は、得られる
はずのものに比べても、遥かに大きなものでした。
開戦時に、主戦派の人たちは、負けることを考えてはいなかった
でしょう。それでも、敗戦の責任の取り方は、自決や絞首刑で済む
問題ではなかったと思うのです。
あまり好きな俗信ではありませんが、「火事を出せば七代祟る」
と言われるほどです。200~300万人とも言われる国民を失った
罪は、消えることはないと思うのです。ただし、誰に罪があるのか
については、これから勉強しなければなりません。