誇大妄想の虜となって半世紀、そろそろ化けの皮が剥がれ
ようとしています。手を伸ばせば、すぐにでも自分のものとなる
はずの大文豪は、どこに行ってしまったのでしょうか?それは、
近づくどころか、ずいぶん遠くに行ってしまったように思います。
このように、自分のことを語れるようになった私は、すっかり
大人になりました。自己分析ができるようになったのです。
いえいえ。けれども、それは本心ではありません。年齢的に、
そろそろ諦観が身につかねばと思っているだけです。私の、
文学への野望が萎えることはありません。
ただ、先行きの選択肢が少なくなりました。生前に評価され
ない可能性は、間違いなく増えています。無名のまま朽ちる
ことはないはずだと、高を括ることはできません。
そうなると最後の砦は、私の死後に作品が評価されることを
期待することだけになります。これはタイトロープです。ただ、
幸せな臨終を迎えることはできます。
難しいのは、これで死後に評価されるという自信を持つこと
ができるかどうかです。構想中の大作を、いくつも完成させな
ければなりません。
ただ、私は楽観的に考えています。才能も努力も不足してい
るのに、文学への自信と熱情を持ち続けていたと思い込んで
いるからです。
このような私の行く末を、案じていただく必要はありません。
もう、ずいぶん前に、家族からも見放されていますから。