イタリアにおける親子関係のデリカシーとは | トスカーナのアグリツーリズモ

イタリアにおける親子関係のデリカシーとは

イタリア人がマザコンというのは世界共通の認識。

いや、私的にはあれはマザコンではなくたんなる習慣な気もしますが・・・

ママが仕切って、ママがうざいほどに世話焼いて、

ママ中心に物事がまわる・・・みたいなね

 

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でもって親は子供の動向を逐一知りたがる

傍で見ていて「大丈夫?」と思えるほど。

出かけた先からも子供に幾度となく電話確認。

「今日の予定は?」「お昼は何食べるの?」「お昼は何食べた?」「午後の予定は?」

と、もし私の母がそんなことで電話してこようもんなら

「お母さん、どうした?」となるわけで

 

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まぁ母親の愛は普通の場合は世界共通ではありますが

その現れ方は本当に違うもんです。

 

で、ある日のこと。友人のイタリア人夫婦と車に乗っておりましたら

運転席の夫と助手席の妻の会話(私の存在は無きに等しい)

「ねぇヴァレンタインの翌朝、あの子が首にキスマークを付けて帰ってきたの見た?」

「うん、あまりにわざとらしいハイネックを着ていたから『どうした?』と聞いたよ」

「ふふふ、きっと今携帯の待ち受けにしてるブロンドの子ね」

「それにしても見たか?かなりのキスマークだったぞ」

みたいな夫婦の会話が繰り広げられておりまして

 

それは絶対的にありえないのですがもし私の親がこんな会話をしたら

それこそ「どうした?」くらいでは済まされない、

根本から全ての概念が覆されるほどの大事件

イタリアのマンマは子供を束縛するものの、こういう子供の男女関係に関しては

夫とこうも開けっぴろげな会話ができるのか・・・・

 

まだまだイタリアについて学ぶことはたくさんあるもんだと

後部座席で思考を大きなテーマに持って行きつつ聞き流しておりました。

 

後日一緒にランチをしていましたら

「そう言えばうちの子バレンタインにね〜〜」と私にその話をふってきまして

私が(「あのう、私の前でその会話していましたよ」と言いたい気持ちをおさえて)

「ヨカッタね。バレンタインに独りじゃなくて。素敵な10代をエンジョイしてるんだね」

と答えたら

「そう、ノリコと話すと落ち着くの。あの子が家に全くいない事でも

『よかったね、友達がたくさんいて。10代なら普通だよ、家にいないのは』と

言ってくれるの」とダンナに話していました。

 

世の母親の矛盾する気持ちって複雑なんでしょうね。