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坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

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私は、人様の家にあるヨーダを口から出すのなら、何がなんでも方法は考えます(笑)。

できるまで、考えて、試行錯誤します(笑)。


しかし、「宇宙はなぜできたのか?それを考えろ。」と言われても、興味はあるものの、

ヨーダを口から出すほど根気良く、かつ、できるまで方法を考えるには至りません(苦笑)。


そういう人の心理として、当たり前のことが分かっていない経営トップやリーダーに

時々出くわして、空いた口が塞がらないことがあります(苦笑)。



大した会社でもないのに、

「考えるのが経営者の仕事、それをやるのが部下の仕事。」

とか、

「私がやりたいことを、いかにやるか考えるのが部下の仕事。」

とか、どっかの超大手企業の、自分とは何もかも違う立派な経営者の言うことを都合良く

鵜呑みにしては、その言葉だけを使って、一番難しいことから、上手いこと責任逃れ

しようとしている救えない人です。


例えば・・・・、

考えられない人に「考えろ。」と言っても、そもそも「考えかれない」のだから、

考えることなんてできません。

そうでしょ?


考えたことがない人に、せめてヒントになるような「考え方」の順序や思考法も教えずに、

ただ「考えろ」と言うだけなのは無責任です。

そうでしょ?


そもそも興味すらない人に「考えろ」と言ったところで、自分事のようにとことん

考えるようなことはしません。

(私の「ヨーダ口出し」と「宇宙の発祥」の違いの例が分かっていないパターンですね(笑))。


業績が良くてまだ余裕のあるうちは、部下の教育だの何だの理由はこじつけていれば

いいでしょうが、業績は悪化しているに関わらず、「どうしたら業績が上がるのかを

考えろ。」と言うのは、あまりに無責任です。


中小零細企業は、もともと人材が手薄なのが前提です。

そもそもがトップより能力や器が大きな人が社内にいないというのが前提と思って

いいでしょう。

そんなスゲー奴は、中小零細企業には入ってきませんから(苦笑)。

仮にいたとしても、いつか見切って辞めていきます。


そういうことは、頭では分かっているはずなのに、トップ・リーダーが、なぜいざと

なったら考えることができないか?と言えば、それは、これまで「考えてこなかった」

からなんじゃないか?、と、私は思っています。



それなりに歴史のある会社は、それなりに業績を維持してきたから歴史がある訳で、

その過程の中で、一世代前に業績を伸ばしてきた人は、好景気の時代の方々となります。


好景気の時代は、①に「気合と根性」があって、②に何もなくても、③に「理念」や

「精神性」を取って付けたようなもんでもあれば良かった訳です。


流行りの業種業態や商品さえ見つければ、それを、より速く市場に送り込めば

「勝ちパターン」となる訳です。

だから、できるだけ人を集めて、組織と言う名の集団にして、「考える」ことなど

せずに、他社より少しでも速く市場に商品を送り込んだ方が勝つ、すなわち、「考える」

ことなんてしない方が良かった訳です。


「より速くやれ、より多くやれ、考えるな、走れ、走り続けろ、気合と根性だ。

我が社にはこんな立派で崇高な理念がる。その為にやるのだ。エイエイオー。」

これで良かったんですね。

一に根性、二に気合、三・四がなくても、五に精神。

これで業績は、いや、その方が、業績は伸びたのです。

そういう時代だったというだけで、誰も悪い訳ではありません。


ただし、②の「考える」ことそのものや、その為の勉強や、基礎や、やり方は知らない

と自覚した方が良いでしょう。


「そんなことはない!」と怒る方もいるでしょうし、実際に何人も怒らせたことも

あります(苦笑)。


しかし、怒り出す人に、「では、業績を良くする為に何を考えているのか、具体的に

教えて下さい。」と聞いても、結局のところ答えられないか、何かは喋っているの

だけれど何を言っているのか良く分からなかったり、あまりに譲らないので面倒くさく


なって、「じゃあ、そうすればいいんじゃないですか?」と言えば言ったで今度は

できない理由を何倍も並べたてるし(笑)、もっと言えば、そんなに考えてやって

いるんだったら、業績は落ちてないっつーの(苦笑)。


自分は、②についてやってこなかったし、勉強もしてこなかったし、考えてもいなかった

んだという自覚がない(苦笑)。

だから、バブル期・好景気時からの生き残りはタチが悪いのです(笑)。


①の「気合と根性」がダメだと言ってあるのではありません。「気合と根性」がない者は、

社会に出る資格がありません。

大前提であり、最低限必要です。だから必要です。


③の「精神性」や「理念」が不必要だとは言いません。恐らく最後には必要となります。

「最後には」と言うのは、例えば、技術や体力・知力が一流同士で、実力が拮抗した時に、

最後の最後にそこで差がつくくらいのものだと思っておいていいでしょう。


例えるなら、フルマラソンを走るのに、①気合と根性は十分で「やるぞ!」と決めて、

②何の練習も訓練も勉強もせずに、③あとの武器は崇高な理念だけという人と、

①も②も③もやってきた人と、どっちが結果を出すか?、と言えば、そんなもんは明白

でしょう。

(ちなみに、私は、ホノルルマラソンと、100Kmウォーキングと、富士山登山で、

イヤと言うほど味わった(苦笑))。


私の尊敬する方が、時々、「プロなのに、どうしてビジネスマンだけが、プロとして

必要な練習や訓練や勉強を毎日しないか?」

とおっしゃいますが、その通りで、私はそれを②の部分だと思っています。


まず基本となることを学んだり、次に応用することを学んだり、「考え方」の順序を

学んだり、それを自分なりに考えて実験したり、試行錯誤したり、そういうことを

一定期間と一定量を繰り返しながら、実力がついていくものだと思うのです。


これが、「自分にはない」と自覚したとします。

これはヤバイぞ、と勉強し出したとします。

私の経験則では、勉強したことを自社なりに仮説を立てて、実験して、結果検証して、

失敗事例と成功事例を積み重ねて、気がついたら実力が付いていた、となるのは、

最低5年、良くて10年はかかる気がします。

あくまで私程度ですから、スゴイ人はもっと縮められるのでしょうが・・・・。


そうなると、そこに気づいた時点の年齢の問題もあって、すでに手遅れという人も

たくさんいるでしょう。

そうなると、あとは、自分でやらない選択をいかにするか、例えば、誰か別の有能な

人に経営を100%依頼するか、足らないパートを誰かに入ってもらうか、という

考え方になってくるのだと思います。



そういう意味で、私個人としては、衰退業態の中で考えざるを得なかった環境にいたり、

どう考えても今の自分では無理な目標に挑まざるを得なかった渦中にいた経験は恵まれて

いたと言えば恵まれていたのしょう。


ただし、ここまで書いてきて何ですが(苦笑)、ここで言う②の部分のスキルが、

私に100%備わっていて、人様に教えられる程の力があるか?と言えば、答えは

NOです(苦笑)。


経験していく中で、実際にやってきたことはお伝えできますが、絶対に正しいとまで

言える方法を教えられるか言えば、私にはこそまでのスキルはありません。

それは自覚しています(苦笑)。


と、自覚した時に、今年50歳になる私の取るべき道は何か?となった時に、私に

残された選択は、「好きで好きで大好きなことだけをやり続ける。」ということです。


フルマラソンの例に戻ると、ただ走るのが好きな子は、ただ走り続けます。

走っていない奴よりは、速く走れるようになります。

大好きならば、少々のことがあってもやめません。

同様に、野球が好きな子は、学校の放課中も昼休みも放課後も、家に帰っても、晩御飯

食べた後でも野球で遊び続けます。

少々アホでも、ちゃんとした指導を受けられないにしても、普通に野球で遊んでいる

程度の子よりは上手くなります。


ビジネスで言うなら、自分のやりたいことや大好きなことを徹底的にやり続けて、

最低でも、まず食えるようになれ。

それくらい好きなことをやり続けて、まずは十分に食えるだけの程度にはなれ、という

ことです。


我々は凡人です。

同じ凡人なら、他人よりも量をこなせば、他人よりも成果が上がって当然です。

他人よりも、やり続けるには、「好き」なことしかありません。

放っておいても、誰かに強制されなくても、昼夜を問わず、勝手にやり続けられるのは

「好き」なことしかありません。


個人的には、業界ナンバー1とか、世界一とか、全く興味がありません(笑)。

経験して言えることですが、上場とかも全く興味がありません(苦笑)。

残りのビジネス人生時間を考えると、もう一から勉強していくのは時間がありません。

よって、「好き」で突き抜ける、というのは、自分的には極めて有効で、効果的で、

何て論理的なんじゃないか?と自画自賛している訳です(笑)。

でも、今のビジネス環境からすると、それくらいしか残ってない人は圧倒的に多いと

思うんですけどね。



まぁ、もうすぐ無職のプータローになって、丸2年が経とうとしている訳ですが、

この実験は、限界がくるまでは続けてみる価値はあると思っています。


上手く行けば良し、ダメで元々の発想なので、大したリスクはありませんから、

もし上手く行けば、閉塞感のあるビジネス環境において、新しい生き方の一つくらいに

なれたら、こんなに面白いことはない、くらいには思っています。


てな事を、ヨーダ口出し画像を見て、我ながらアホにしか見えないと思いつつ、

ダラダラと考えるのでした(笑)。





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買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」
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会社の売上状況を分析するに当たって、

①担当者別

②得意先別

③商品別

等の別々のカテゴリーで見ていくというのが一般的です。


資料として出せるは出せるのですが、多くの場合は、どれか一つの分析資料だけを

前提として会議を進めています。


長年の経緯の中で、一番得意にしていると認識していたり、強みでありたいと思って

いたり、あるいは何も考えていなかったり、理由は様々なれど、いつも一つの資料を

中心に話を進める傾向にあります。


仮に、担当者別の資料を中心に進めているとしたら、本来ならば、「誰が売るのか?」

を強みにしているはずで、会議の中心は、「営業マン一人一人のブランディング」や

「個人の魅力や得意分野をいかに引き出すか?」が理想であるわけで、成績の良い人の

顧客との関係性作りのノウハウや、具体事例の共有をしながら、次に「何を、どこに

、売っているのか?」の話になります。

ところが、現実的には数値の悪い奴の吊るし上げや、責任のドツキき合いになったり

するわけで(苦笑)、そうなると、当然ながら、参加者の会議出席のモティベーションは

下がります(笑)。


仮に「得意先別」が中心になるのであれば、例えば「ターゲット・プロファイリング」の

手法を用いて、参加者全員で相手に喜んでもらえることを担当者に提案してみたり、

もっというと、相手に合わせて商品も柔軟に変えるということもありえるでしょう。


「商品別」であれば、売れ筋商品の傾向や、新商品開発が話の中心になったり、

営業マンの特性よりも、いかに商品説明が魅力的にできるかどうかのレクチャーや

体験の場となると思います。


実は「我が社の営業マンとは、何をする人なのか?」な定義の問題にも関わってきたり

するとすら思っています。


それが理想と言えば理想でしょうし、できればいいのですが、現実的には、なかなか

できません(苦笑)。


理想は、「担当者別ブランディング会議」とか、「ターゲット・プロファイリング・

ミーティング」とか、「魅力アップ商品プレゼン会議」とか、会議そのものの名称を

都度変えた上で、メンバーを選定して会議を行うのといいのでしょうが、中小零細企業では

なかなかそうはいかないのが現実です。


大抵は、いつも職位で切り取ったメンバーを前提に、「営業会議」と言えば「営業会議」だし、

「役員会議」と言えば「役員会議」だし、「リーダーミーティング」と言えば「リーダー

ミーティング」だし(笑)、もしくは、どの会議もいつもメンバーが一緒(笑)と

なっているので、それを長年、定例的に行いながら閉塞感が出てきています。



私は、どの会社のお話を聞いたり、会議に参加させて頂くときも、質問は、最終的には、

必ずどの項目からも切り口を作ります。


それは、簡単に言うと、視点を変えてみることによって、新たな発想や気付きが生まれる

こともあるし、質問に答えながら自らヒントが生まれることもあるし、本当は共有して

おかねばならなかったことを忘れていたり、もっと言うと、それらのことから、

予測も自覚もしていなかった自社の強みが出てきたり、次のビジネスモデルの

グランドデザインに発展することもあるからです。


あるいは、例えば、小売店をやっていたとして、当初は手間をかけて楽しい空間を

創って、空間そのものを価値とすることを強みにしていたとしても、時代の流れと共に

商品政策は価格の安さを訴求して勝ち抜こうとしていて、当初のコンセプトと、今の

商品政策がチグハグになってしまっていてスタッフがどこに注力していいのか混乱して

いる課題が発見されたりすることもあります。


要は、思考力を鍛えたり、シナリオ思考や編集力を鍛えながら、新たな価値を生み出す

スキルを高めることが大事だと思っているということです。


よって、本当は客観性のある最たる情報である数値で各項目が出ていればいいのですが、

目的が上記の考えなので、なければないで、大体まぁまぁの数字でもそのまま進めます。


鍛えたいのは、これからのビジネスに対する思考力なのです。



「分析」というのは、「分」と「析」という二つの漢字です。

「分」というのは文字通り「分ける」という意味で、「析」というのも実は「分ける」

という意味合いがあると聞きました。


そうすると、「分析」というのは、一つの情報を「分けて、分けて、考えてみる」と

いうことです。


もし、現状の業績が悪くなってきたり、会議の進め方に閉塞感があったり、

逆に、いま調子が良いとしても、それは、何故そうなっているのかを把握しておく、

すなわち「分析」しておくことは大切です。


一つの情報を、様々な切り口で「分けて、分けて」一旦考えてみることです。


そこから、課題や問題の根幹発見や、新しい切り口や発想や価値創造が生まれてくる

可能性は十分あります。


一つの大きな情報を、一旦次のカテゴリーに分けてみて、断片情報を洗い出してみる。

やっているうちは、意味がないと思いながらも、洗い出しながら、キーワードを拾い

ながら、もう一度、大きな情報に編集しなおしてみる。

そうすることで、当初考えていたことや、暗礁に乗り上げていると思っていたことと、

全く違った方向性や解決法のヒントが生まれる可能性があるということです。

私は何度も経験してきました。



というようなことを、最近、滅多に行けていなかった某ショップに連れていってもらって、

店内をフラフラ歩きながら、「俺なら、ここに何を聞こうとするんかなぁ。」と、

ちょっとだけ考えたけど、遊んでいることそのものが面白くなって、どぉでもよくなって、

結局、本気で遊んでしまって(笑)反省しながら書いた記事です(苦笑)。




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買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」
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生活している中で「こんなことができたらいいのになぁ。」と思うことを具体的に羅列

していくと、そのほとんどが、何かのテレビ番組や本で見たことあるな、となって、

すでに現実となっているか、あるか近い未来に恐らく実現しているだろうことが多かったり

します。


未来に対して、こんなのあったらいいな、と思っていることは、その欲求すらも、とっくに

凌駕している程のテクノロジーが発達していっているのだと思います。


これからの自社のビジネスの最大のライバルは、競合他社ではなく、テクノロジーだという

見解もあって、今やっている仕事のほとんどは10年後には無くなっているだろう、

という予測もあって、それはあながちウソとは思えません。


ただ、そうやって考えていく過程の中で、自分の欲求が全てかなう機能やサービスが

実現したとして、果たして、その状態で自分の生活が全て満足するのか?という疑問も

湧いてきたりします。


例えば・・・・、


子供の頃、夢にまで見た「ウルトラ警備隊員がつけていたビデオシーバー」(腕時計型の

テレビ電話みたいなやつ(笑))は、気がつけば、いまこうしてスマホで機能としては

当たり前のものとして手に入っています。


ところが、私は夢にまで見たはずのテレビ電話機能はほとんど使ったことがありません(笑)。

じゃあ、その夢はそもそも私に必要がなかったのか?となるとそうではないのです。


だって、私は、あの「ビデオシーバー」は、今でも欲しくて欲しくて仕方ない(笑)。


もしあれば、腕にはめておいて、突然「アマギ隊員がピンチなんだよ!」と、一人で

やりたくなる欲求は消えてはいないわけです(笑)。


そうやって考えみると、生活の中での機能としては腕時計はいらないわけですが、

古くからの機械式時計は何本も欲しいし(苦笑)、衣料品としての機能面だけを

考えれば、革ジャンなんてのはもう着なくて良いだけの製品は山程あるのに、ご丁寧に

昔ながらの製法をわざわざコストをかけて復刻しているようなのを、いくつも所有して、

なおかつ欲しいとすら思っているわけです(苦笑)。


そうやって考えてみると、人の純朴な欲求というのは、未来に対してもっと便利で

効率的になりたい、というものと、不便だろうが無駄だろうが「だって、欲しいもんは

欲しいんだもん!」「だって、やりたいからやりたいんだもん!」というものと両方の

軸があるんじゃないかと、私みたいなタイプは思えてしまうわけで、そこに、次の

展開のヒントが生まれてくるような気がするのです。


自社のビジネスのこれからを考えていく上で、未来のより良いサービスや、未来に

あるべき製品というのを突き詰めて考えて、突き詰めきってみると、それは、

もう異業種の領域になっていたり、自社ではそのテクノロジーをオリジナルで開発

するのは非現実的となったりするかもしれませんが、突き詰めることで、自社製品の

本質というものの見直しになるんじゃないか?と思えた、ディスカッションの時間でした。


これからは、そういう思考をする時間を意図的に作っていく必要があるのだと思って

います。


私は、そういう時間や思考を「コンセプト固め」と呼んでいます。




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