せっかく東京・多摩地区で一泊できたのだから、大学の2年間を過ごした懐か
しい場所まで、足を伸ばしてみることにしました。
その一つが日野駅です。
私が大学1年の時にお世話になっていた下宿・山口さん家がある地です。
少々の疲れも溜まっていたし、特別な目的があるわけでもなかったですから、
どーしよーかなー、とは思いつつ、フルで空けられる一日もそうそうないの
で、今日行っとかないと、もう一生行かないんじゃないかなぁと・・・。
まるで昨日のことのようにも思える当時の映像や、もう断片的にしか残って
いないような記憶もあって、そこに行くと何を感じる自分がいるのか・・・、
30年ぶりに、日野駅に降りてみました。
東京の外れにある、さらに小さな駅です。
当時は今のようにネット情報も何もなく、両親と住むところを探しに上京し、
右も左も分からずに、大学近くの駅周辺のアパートや下宿屋さん数件を地図
を頼りに歩きまわりました。
父は、私のことを余程信頼していなかったのか(笑)、大学から徒歩で通える
ような所だと友達の溜まり場となって学校にいかなくなるし、
都心部に近いと遊びほうけて学校に行かなくなるし(笑)、
一人住まいだとグダグダになって学校に行かなくなるし(笑)、
ということで、学校から程よく近い駅で、下宿で親代わりに監視してくれる
ようなうるさいオバさんがいてくれて、朝晩のまかないが着いている、
というのが父の条件でした(笑)。
まぁ、そんな父の憂慮も虚しく、私はグダグダの生活をどっぷりと満喫して
しまうのですが(笑)。
数件を回って、疲れ果てた最後に見つかったのが、ここ、日野駅の山口さん
家の下宿屋さんでした。
「何もない」と形容される代表的な駅で、冬場には冷たい風にさらされて、
凍えるような記憶の駅はそのままでした。
何もない駅の風情もそのままでしたが、駅前でよく行った、喫茶店と美容
室がまだあったり、
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「ロバ」という、美味しいスパゲティ屋さんはもうなくなっていたりと、
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多少の変化は感じるものの、他の駅周辺の変貌ぶりを思うと、驚く程変わって
いなさに逆に驚くのでした(笑)。
東京と言えば、あの、大東京のイメージしかなかった、当時18歳の私は、
一体どんなとこで生活するんかい?と不安にかられていたことを思い出します(笑)。
さらに細い路地を入って10分ほど歩いた所に、下宿屋さんはあったはずで、
そこを探しに、当時のようにトボトボと歩きます。
この「トボトボ歩く」というのが無性に私の中の日野のイメージに合うのです(笑)。
途中、一件だけあった、文房具屋さんだかファンシーショップだか分からな
いあのお店は、なくなっていたのか、変わっていたのか・・・・。
6畳の日本間バリバリの部屋を、ちょっとでも洒落た部屋にしようと試みて、
そこで買った、東京で初めての買い物はこれでした(笑)。
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そのお店はもうなくなっていました。
学校や、お風呂屋さん、バイト先に行くのに、何度も往復した細い一通の道
です。
歩を進めながら、忘れていた記憶も、だんだん蘇ってきて、この公園で、
下宿友達と、夜中に野球ごっこもしたりしたこともあったなぁ、とか・・・。
そのちょっと先に、あるはずの当時の下宿先。
私の記憶では角地だったので、もうなくなってしまったのか、と残念な気持ちで
一杯になっていましたが、よくよく探してみたら、当時のあのままに、まだ
ありました。
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何故だか、意味もなく安心したり、ちょっとだけ涙が出そうになったり、
切ない気持ちにかられました。
あれから、もう30年も経つんでね。
私はこの家の一階に住んでいたのです。
電話はなかったので、風呂屋の行き帰りに公衆電話を使っていました。
テレビも買ってもらえなかったので、誰かの部屋に行って見せてもらってい
ました。
当時、一緒に暮らしていた、山田や、海端や、成松や、もう一人、名前が
思い出せないや・・・・、あいつらは、今頃どこで何してるのか、元気
でいるのかなぁ・・・。
そんなことを思いながら、恐らくはもう二度と来れないであろう思いにかられ、
お世話になった一年間に心を込めて、玄関で深々と一礼をしてきました。
不安と新鮮な戸惑いを感じていながら、のんびりした風情が気に入っても
いたけど、道のりがとても寒く、東京に来たのに「何もない」とこに住んで
いると思っていた当時。
思い描いていた風景や生活とは、まるで違うギャップを埋め切れずに過ぎ去
った当時のあの時間。
少々自由と、慢性的な不自由を行き来させながら、大学2年になったら、
もう絶対に下宿じゃなくて、アパートで風呂付きにすると決めていたあの頃・・・・。
そんなことを思い出しながら、やっぱり、トボトボと日野駅まで歩く帰り道、
今の私が、あの当時の私に、
「何もないところなど、どこにもないのだよ。」
と教えてあげていました。
今を精一杯生きようと、何故だか改めて思うのでした。
あの時の自分に教えてあげよう。
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