「好き」は、やり続けるからかなわんね | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

photo:01



生まれ持っての才能や資質が先天的だとして、能力を後天的な経験によって

培われたものと定義してみます。


才能や資質が卓越している人に対して、同じ土俵で対抗しようとするなら、

後は、自身がこなした経験の数や量の問題になります。


これを前提とすると、人の数倍、人と同じ対象に時間を費やした人が抜きん

出るとなります。


ところが、数倍というのがまた厄介で、私の周りには2倍程度なら当たり前

に行動してる奴はゴロゴロいるので、そうなると、3倍くらいやらないと突

き抜けることにはならないんですね。


他人と同じことを、他人よりも3倍、さらには3倍を「やり続ける」となる

と、私の経験上では、義務感や使命感・強制や立場感、他人からの説得

程度だけ無理なので、そうなると、後は、誰から何も言われずとも、利益に

繋がらなくても、勝手にやっていることが突き抜ける対象になります。


それを、私は「好き」と総称しています。


「好き」は強いですね。

他人が他ごとをやっている間に、例えば、仕事が終わったとして、

遊びに行ったり、飲みに行ったり、デートをしたり、家族との時間を楽しん

だり、そういうことをしている間に、シコシコと「好き」に対して時間を

費やします。多少、持って生まれたものが劣っていたとしても、差がついて

当たり前となります。


さらには、直接「好き」な対象に費やしていない時、例えば、

遊びに行ったり、飲みに行ったり、デートをしたり、家族との時間を楽しん

だりと、傍目には他人と同様のことをしている時も、勝手に関連したことを

思考したり、置き換えたりして積み重ねている。


要するに、見た目の行動がどうあれ、思考が「好き」まっしぐらに向かって

いて、この個人の「思考」だけは、外側からは見えないものだから、

他人が知らないうちに3倍くらいは、本人も努力と認識せずに、脳か身体を

動かしていることになります。



そうなると、「好き」を直接やるか、どんなことにでも自分の「好き」を

盛り込んでいくかになるのだけど、突き抜けている人はこれを言わなかった

りするから意地悪です(笑)。


意識してやっている人は滅多に言わないし、無意識でやっている人は無意識

だから自覚してないから言わない(苦笑)。


よく仕事の成果を上げようとする時に、「どんなことでも楽しんでやれ」

と言う人はいるけど、肝心の「楽しみ方」を具体的に教えてくれる人は、

そんなにいませんね。


私は楽しめないことは、やっばり楽しめない(笑)。


でも、楽しめないことや、嫌な思いをしたことも、まぁ、好きでやってる

このブログのネタや、アホ・イラストや粘土細工のネタにして、

無茶苦茶大袈裟にして主張・表現したら、スゲー楽しいんじゃねーか?とは

思えます(笑)。


だから、少々の嫌なことがあっても、結構楽しく生きている、となったり

します(笑)。


例えば、「好き」を盛り込んで楽しくするという、私なりの解釈はこんな感

じです(笑)。


肝心の「好き」の認識をどうするかですが、考えてもよく分からなかったり

しますから、考えていることではなくて、生まれてから今日までに実際に

行動しきたことを客観視してみると、そのヒントが見えてくるので、私は

オススメしています。自分で自分を客観視するのって、実は結構滑稽だった

りするし、自分で自分を知るのって恐いもんだったりしますが(苦笑)、

かなり有効です(笑)。



さて、話を最初に戻して(笑)、実際に生まれ持っての才能や、卓越した資質

を持った人というのは実際にいるか?ということです。


いるにはいるかも知れませんが、私は現実の身の回りで、実際に会ったことは

ありません。当然、私も含めて、どいつもこいつも凡人です(笑)。


時々、突き抜けた人を「天才」と称することはありますが、それはその時の

誇張した表現で、面白可笑しく言っているだけで、誰も本気で天才だなど

と思っていないはずです(笑)。


そもそも、どんな脳構造を天才と定義しているかなど、誰も知らないでしょ

う(笑)。


突き抜けている人は、先天的な天才ではありません。

他人から見たら、非常識とも、時に放送禁止用語並み(書けない(笑))の

量を持って、ただやり続けているだけです。


一旦は凹んでも、落ち込んでも、ちょっと飽きても、挫折しても、やっばり

気がついたら同じことをやりはじめて、また続けている人です。


これを「好き」と言わずして何と言うのか、私は知りません(笑)。

マネしようとしても、仕切れないのです(笑)。


ただ、同じことはできなくても、自分の「好き」を認識して、置き換えてい

くことは、私は可能だと思っています。

条件が許す限り、脳が指示するまま、心が動くまま、徹底的にやり込んで

みたいですね。



バランスが良かったり、平均的でいることが、もはや、成功できる要素では

なくなってきた今、凡人の私達が今一度見直すべきは、

「好き」のキーワードではないかと思うのです。




「好き」は強いです。サルの何とか(笑)みたいにやり続けます。
応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」








iPhoneからの投稿