実績が悪かったことより、意図していたかどうかの方が大事である | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。






以下、個人的な見解です。



こと「育成」ということになると、


目標に対して、「実績が良かったか、悪かったか」の結果はもちろん大事ではありますが、


私は、育成対象の人が、「意図していたか、していなかったか」の方が


最も大事だと思っています。


目標比とか、前年比とか、任意の数値に対して実績が悪いとします。


悪いことそのものを責めたてても、あまりに意味がないと思っています。



実績が悪かったら、「業績が悪い。ダメだ。どうすんだ。」と言うのを、

育成していると思っている人がいるのかも知れませんが、


それは無責任に責め立てているだけです。



逆に、実績が良かったら、「業績が良いからいいね。君は伸びたね。」と言う。


この程度なら、通知表を見た小学生でもできる訳で(苦笑)、とても育成とは思えません。



でも、不思議と「育成が大事だ。」と言っている人に、この程度の人が多いのもよく見ます。



私が、最も知りたいのは、目標に対して、本人が「意図していたか、いなかったか」です。



「意図」と「実績」の関係を区分けすると、


①意図したことが、外れて、実績が悪かった。


②意図したことが、当たって、実績が上がった。


③意図していなくて、ただ実績が悪かった。


④意図していなくて、ただ実績が上がった。


の4つになります。



実績が良かれ、悪るかれ、育成上の問題は「事前に意図していたかどうか」だけです。


これを企画と言うか、プランと言うのか、それぞれあるでしょうが、


そもそも目標に対して、何を意図して、行動したか・・・・・・、

これがなければ検証のしようがありません。



今の時代、何をやったらヒットを飛ばすのか、誰にも分からないのだと思っています。


当然ながら、私にもさっぱり分かりません(苦笑)。


部下も、上司も、過去の実績者も、誰もが正解が分からない時代だと思うのです。


「何をやったら、実績が上がるのか?」が誰にも分からなければ、


「次は何をやるのか、考えては実験をし続ける」ことしかないと


思っています。



「次は何をするか?」の具体案が、ここで言う「意図」です。



この時点では、気合論もいりません。


理念や精神論も、もうウンザリです。


誰もが欲しいのが、次の具体的一手です。


何をしたら、目標に近づくのか?の仮説です。



そもそもの仮説がなければ、やり方としての実験は成り立ちません。


実験しなければ、検証は成り立ちません。



一つのシナリオがどうだったのか?

これをかっ飛ばして、実績が良いだ、悪いだ、それだけ評論したり、

「気合が足りん」だの、「最近、たるんでるんじゃねーか?」だの、それは指導でも育成でもなく、


責任のなすりつけです。無駄な時間です。



商品や価格のこと、いわゆる品揃えのことについては多くの人が好んで語りますが、


それをやったら果たしてどれだけの「人」が動機づけされて動き出すのか?はあまりテーブルに


上がってきません。


ここに話題を向けると、途端に口数が減ったり、弱腰になったりします。



どんなに商品が良くても、魅力的な価格でも、

それを誰かに伝えて、その中から何人が認知して、その中から何人が動機づけされて、

その中から何人が実際に行動に移して、その中から何人が購入に至るのか・・・・・、


一連の流れが成立しなければ、実績にはつながりません。



これを一旦数値化してみて、修正を加えたり、足らないから策を増やしたりする、


そういう行為や思考作業が、私の言っている「意図」です。



実際に結果が出た時に、当たったり、外れたり・・・・・・、外れたならば、どの時点で


外れたのか、を繰り返し繰り返しやっていくことで、徐々に精度が上がっていく、


この過程が私の言う「育成」です。



一定期間における目標達成のための意図の問題・・・・・、

これに真摯に向かっているかどうかです。


「所詮ビジネスは人と人なのだから・・・・。」と言うのであれば、人数ベースにまで


落とし込むべきではないでしょうか?


私はそう考えています。




             一旦、客数ベースにまで落とし込むべきである。


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 買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」