経営者勉強会の大先輩や後輩の方と、名古屋駅前で次の企画の
打ち合わせでした。
その帰りの、某ブランドのショーウィンドウのディスプレイの一部の
フィギュアです。
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ここのディスプレイのセンスは好きです。
趣味じゃないから買わないけど(笑)。
本文とは関係ありません・・・・(苦笑)。
80年代というのは、いろんな意味で正解というものがあったという話は
よくするのですが、その例えを、私はファッションを出すことが多いですが、
今日、話していて、「理想の経営者」とか、「豊かさ」の定義というものも、
当時は、正解のバリエーションは限られていたように思います。
しかし、昨今においては、ファッション同様に、その価値観は様々で、
極めて各個人に帰属しているんだとも思います。
以前は、成功者というのは、「こういう考え方で、こういう成功をして、これだけお金を持って」
みたいな象徴的な人達がいて、個人の価値観がどうあれ、そこにいかに近づくか、みたいな
風潮は、少なくとも私は感じていました。
立派な経営とか経営者とかの基準があって、
例えば、それは上場企業の社長さんであるとか、年収数千万だとか、
どの地区に会社があるとか、社員数が何千人とか、
そういう基準を満たしていないと、「立派な人」とか「偉い人」にはならないと
思っていました。
それは、今でも確かに立派で偉いことではあるとは思うけれど、
「それがやりたくてやってるだけなんでしょ?」という気持ちもあったりします。
それが、やりたくてやりたくてどうしようもなくて、今を生きている人はとても
魅力的だと思うし、逆に人にどう見られたいか?という基準で生きている人の話は
どんなに実績があっても、何故かとても辛そうで醜く感じます。
さらに、やりたいことを実現している人に対して、共感するかどうかは、
また別物だったりします。
私は、どんなに尊敬できる人でも、明日の朝起きた時にその人になっていたら
自殺するくらいの感情に見舞われるだろう人もいれば、
明日の朝起きたら、あの人のような生き方でいたい、と思える人もいて、
明確に分かれています。
「尊敬」と「憧れ」というのは、必ずしも一致しないし、その区分けは自分の中では
明確になってきました。
前者はいるにしても、後者はなかなかいません。
この価値観が、以前と今ではまったく違ってきていることに気づきます。
そして、それは、一般の社会でも、以前よりも普通の感覚になってきているように
感じます。
ヒーロー不在と呼ばれる時代なのか、価値観の多様化と言われるのか、
私が変わってきたのか、それは分かりませんが・・・・。
「成功」や「豊かさ」という定義すら、個人の価値観に委ねられるというのは、
問題もあるでしょうが、私は基本的にはステキな時代だと思っています。
逆に、誰でもなく、自分とは何者なのか?を明確に理解することが
常に問われることでもありますが・・・・。
私が素敵だなぁ、と思える人の共通点は、やっぱり毎日をイキイキと楽しく生きている人
です。
(そうでなきゃいけないと無理している人を見ると苦しそうに感じますが・・・・・。)
個人的には、自他ともに、そう思える人になりたいと思っています。
そんなことを感じながら帰ってきました。
時代と共に、しなやかに、柔軟に、自分らしく生きている人でいたい。
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