東京に向かっている新幹線の中からです。
月に一回のソーシャルメディアの研修です。
分からないながらも、この数ヶ月、
ソーシャルメディアに私なりに触れながら
生活をしてきて、思うことは
色々とあります。
ソーシャルメディアは現代社会における
有効な伝達ツールの一つである
という思考は当然あることは分かっては
いるのですが、もう片方で、
こうまで個人が自由に情報発信できる
現実を様々な場面で、良くも悪くも
目の当たりにして、その影響の大きさや、
賛否様々な反応を見ていると、
世の中の常識や普遍性までも
大きく変わる可能性がある、
という見解が少しづつ
身に浸みてきています。
一気にびっくり返るという感じじゃなくて、
気がついたら変わってしまって
いるという感覚です。
そっちの方が恐いです。
誰もができるということは、誰がどこで
何をやり始めているか分からないと
いうことです。
と、いうことは、自分のキャパでは
カバーしきれないところで、
知らないうちに、常識や普通
というものが変わってしまっている
可能性が十分にある。
それまでの自分にとって居心地の良い
コミュニティや集団は中で常識だと思
っていたことが、いつの間にか常識で
なくなってしまっていたら、プライベ
ートならまだしも、ビジネスとなると
もう死活問題です。
個人の発信によって世の中が影響を受
ける機会が増すとなると、発信が自由
になるだけに、個人のモラルや常識と
いうものが、とても重要になることく
らいは分かるけれど、じゃあ、具体的
に何がモラルで、何が常識かと言われ
たら、結局は個人に帰属している。
悪意を持った発信なんてのは問題外な
んだけど、良かれと思って発信したこ
とが、誰かにとっては迷惑だ、なんて
ことは往々にしてあって、じゃあ普通
はどうなんだと問われれば、多数決と
なる。
じゃあ、多数決は正しいのでしょうか
か?
私には分からない。
変化や変革を求められているのに、
多数決が正しいとなると、変革という
のは基本は少数派からだから、正しく
ないという矛盾をどう説明するのか、
となる。
単なるツールの一つなのか、世の中の
思想レベルまで影響されるほどの破壊
力があることなのか、私にはまだその
答えは出ていないけど、
やってみなくちゃ分からないことだけ
は確かなので、自らモルモットとなっ
て実験に身をおこうというのが、今
です。
頑張ってきますね。
理屈はいいから、宿題やれ(泣。
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