名古屋は一日中雨でした。
雨が降って「ツイテル、ツイテル」とは決して思わないけど(笑)、
ゴム靴を履いてバシャバシャ水溜りの中に入ってはしゃげるので
「まぁ、いいか」程度には思えます(笑)。
私は傘屋さんの子供で、父は傘メーカーの会社の経営をしていて、母は
自宅兼小売店の店舗を切り盛りしていました。
今、準備している事務所は、以前はこうでした。
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ですから、雨が降れば、傘屋さんとしてはリアルに「ツイテル、ツイテル」だった
わけで、一般とは感覚が逆と言えます。
小学校の頃、
「雨、雨、降れ降れ、母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、
ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン。」
の状態になる天気模様は、年に一回くらいはありましたが、
商売が「ツイテル、ツイテル」になっている以上、母は忙しく、
私の記憶では「蛇の目でお迎え」は一度もありませんでした。
自宅と小学校は、通学路としては最も遠い距離で、徒歩25分と
いったところだったでしょうか。
下校時間の校庭に、友達の優しいお母さん達が迎えに来ては、
お互いを見つけ合い、非日常を楽しみながら帰っていく情景を
横目に見ながら、
絶対にお迎えに来れない母を知っている私は、1人、雨にぬれて
トボトボ帰ったものでした。
親の商売を理解していたし、悲しい気持ちなどなかったけれど、
下校の際に、よその親達が私を見て一瞬不憫そうな顔をするのは
とてもイヤでした。
心の中で、
「僕は、かわいそうなんじゃないぞ。こうやって自分が濡れてでも、
働く両親を助けているんだぞ。」
と誇りにすら自覚している自分を一人一人に説明したい気持ちでした。
そんな当時の、確か、小学校4~5年の時だったでしょうか・・・・・・・、
その日も、授業の途中から雨が降り出して、いつものように一人で濡れながら
ヒーロー気取りで帰っていたのですが・・・・・・、
下校途中の半分過ぎた辺りの大きい横断歩道があって、その向こうから、
「お兄ちゃん!」と大きな声を出で呼ぶ弟に気付きました。
一緒にいたのは、一瞬、母かと思ったのですが、そこにいてくれたのは
母の実妹でした。
まだ低学年で、雨を免れて先に帰った弟と、
その日たまたま来ていた母の実妹が、傘を持って
迎えに来てくれたのですね。
一瞬、嬉しい気持ちも込み上げましたが、不思議なもので、
何だかとても切なく悲しい気持ちを実感したのを記憶しています。
母だと思って驚いたら、母ではない母に似た人だったのですから(苦笑)。
子供ながらに、迎えに来てもらったことを、とても嬉しそうにパフォーマンス
している自分が、それこそ不憫に思う感情を憶えながら一緒に帰ったのでした(笑)。
私は雨が降る度に、「ツイテねーな。」と思いながらも、
当時の映像と感情を思い出したりします。
雨というのは、私に一つの情緒を育んでくれた天の恵みなんですね。
私は、祖父母と両親が傘屋さんだったことを、今でも誇りに思っています。
雨の日は、切なさと温かさが同居する。
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