「考える」というのはただ考えてればいいだけのことである | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

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反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

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こういうの見ると、いつも思うんですね。


上っ面や表層だけでどんなにマネしても、一朝一夕にはいかんよな・・・・って。




よく、「どうしたらいいのか分からないんですよ・・・・。」と聞いてくる


経営者や経営リーダーがいて、現状から未来について話を聞くのですが、


過去起こった事への評論や、状況や、経緯はよく喋るのですが、


これからどうしたいのか、とか、そもそも何をしたくてやっているのか、といった


本人の明確な意志についてになると、途端に曖昧になったり、誤魔化したりする


タイプは結構多いです。


あと、どっかの本やセミナーで言ってたような美辞麗句を並べたようなキレイな


こと言ったり(笑)。




ツジツマが合わない話になってくると、私は純粋に疑問が湧いて質問しまくったり


するんですけど、余程つっついているように思われるのか、あんまり喜ばれない(苦笑)。


むしろ、不機嫌になる場合もある(笑)。


人に時間を使わせといて、自分の都合に合った返答じゃないと不機嫌になるなら


最初から聞いてくるなっつーの(笑)。




面倒くさくなって、「好きにすれば・・・・」と言うと、「冷たい奴」になるんですよね(笑)。


私、「好きにすれば」って言われたら、スゲー嬉しいんですけどね(笑)。



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「そういうことを考える時間が欲しい。」


と言う人もいますが、それは私から言わせればウソですね。



「考える」というのは、時間があることが前提ではなくて、考えるから考えてるだけ


ですから(笑)。



「考える」時間というのは、行動はしていませんから、生産性はゼロです。


ですから、生産性を上げねばならない時間、すなわち仕事の時間は、私は


自分は何をしたいのかとか、どうありたいのか、ということはあまり考えません


でした。


仕事が終わってからとか、プライベートな時間に、本を読んだり、明文化したり、


絵を描いたりして、それを考える時間にあてました。



「時間ができたら考える。」という人は、時間ができても考えません。


考えないから、考えていないだけなのです。



そもそも、自分がどうしたのか、とか、何ができたらチンチン丸出しで大喜びする


のかといった、純粋な欲求とか、エゴイズムとか、そういうのもなしで、何を悩むん


ですかね・・・・・・(笑)。




何も、御大層なこととか、大それたことじゃなくても、


プロレスを特別リングサイドで観たいとか、ジープに乗りたいとか、世界中の革ジャンが


欲しいとか、その為だったら、ちょっとくらいイヤな仕事でも頑張っちゃうもんね、程度の


ことすらないんですかね・・・・・?



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自分のことも分からなくて、何を悩めばいいのでしょうか?


私には、それこそ分かりません(笑)。



私は、そいうことに苦しんでいた時は、いつもいつもいつも考えていましたもの。



時間があったから考えたのではなくて、考えていたから考えただけです(笑)。


テメーの欲求なんてのを、他人になんて相談してたまるかっての(笑)。




質問に答えてくる人というのは、常日頃から考えている人ですね。


質問されて初めて考える人は、考えていないから、その場で考えるのです。


それを「考えてないでしょ。」と言うと、「いえ、ちゃんと考えてます。」と言います。


会話にならない訳です(笑)。


伝わってますかね?




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で、古い雑貨の、自然に錆びれた感じに戻るのですが、


これは、それぞれが、それぞれの風土や空気の中で長い間かけてきた固有の


何かがあって、それは、今見たからと言って、すぐに何とかなるもんじゃないわけ


ですよね。




それと一緒で、昨日・今日考えた程度で、すぐ分かるようなことは、大したこと


じゃないってことです。




だって、片方は時間ができたら、友達と楽しく酒を飲んだり、ゴルフをしたり、


釣りに行ったり、デートをしたり、家族との時間をなんやかんやと適当に楽しんでいて、


グースカ気持ちよく寝てて、


片方は、それら全てを保護にして、考えて、考えて、本を読んだり、誰かの話を


じっと聞いたりしてて、それを文章やコトバや、ブログとかで発信しながら、また考えてる


として、


その連続が10年も経ったら、差がついて当然でしょ。




それを、ちょっと人に聞いたからって、考えられる人になってるわけないっつーの(笑)。



考える人というのは、時間があるから考えてるんじゃなくて、ただ考えてるから考えてる


だけです。


考えられない人というのは、時間があろうとなかろうと、考えないから、考えないのです。


それだけのことです。



「考えてる」というのは、人の頭の中のことですから、傍からは誰も目視できません。


が、ゆえに知らぬ間に大きく差がついてしまうという恐ろしい現実があります。




私が、考えたかどうかが分かる一つの方法は、毎日、何でもいいから、


こうしてブログを書くことです。


やったか、やらなかったかが誰の目にも分かるからです。



「そこまではできない・・・・。」



と言う人はいますが、それなら、自分はそもそも考えたくない人だという自覚をもって、


誰かが考えたことをやり切る方法で突き抜けた方が楽だと割り切った方が得策ですね。



私は、そうおススメしています。


当然、納得はされませんが、それ以外は私は知りませんから、知りません(笑)。




       考えたいなら、ただ考えればいだけなのである。


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