約2か月ぶりの更新となりました。
体調を崩して寝込んでいた訳でもなく、身柄を拘束されていた訳でもなく・・・
このところ老眼も進み、ただ単に怠けていたとでも言いましょうか(笑)
3年半にわたる四国歩き遍路の紀行文の執筆が終わり、出来の悪い脳漿のクールダウンのため、
しばらく活字や文章と距離を置きたかった様にも思います。
とは言え、その間もお遍路や調査で各地を歩き、無駄なまでに頑強な足は山野を駆けておりました。
この春より一攫千金を夢見て(いや、一攫千銀か?)世界遺産・石見銀山に足繁く通っております。
石見銀山世界遺産センターのインフォメーションのお姉さんに会いに行くのも理由の一つです。
なのに何故か銀山ではなく銀の積出港からお話は始まります。
島根県大田市(旧温泉津町)には幾つかの古道が残っていますが、最後のハイライトを一発目に!
温泉津町櫛島キャンプ場へ向かう舗装路には沖泊を指す道標。
良いとこ取りしたい人は此処からどうぞ!
坂を下り始めると沢伝いには竹藪と荒れた杉林が古道を挟んでせめぎ合い・・・
岩盤に直接刻まれた石段道には側溝も刻まれ、この道が古くは重要な街道であった事が窺えます。
石見銀山街道 沖泊道は毛利氏の支配以降、江戸幕府直轄地、そして明治・大正・昭和にかけて
大森(銀山)と温泉津港・沖泊港を結ぶおよそ三里半の銀や生活物資の輸送路でした。
しかしどうですか! この苔蒸した石段の味わいは・・・ あまりの美しさに思わずため息。
同じ世界遺産に登録された紀伊山地の参詣道と違い、人間臭さがプンプン漂います。
立ち去り難い思いを振り切って、沢伝いに降りて行くと沖泊集落の井戸群と侘びた家並。
沖泊港には豊漁の神、海の神 『恵比寿神社』
比較的新しいものですが集落で大切に祀られており、拝殿左側が懸造りなのが
平地の少ないリアス式海岸の集落である事を実感します。
ちょうどお時間となりました。
これから、セパ交流戦(西武VS広島)観戦と夏祭りに出かけます!
(続く・・・)