安芸国 生城山城跡 | 何処へ行くんだ! 土佐瑞山

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明日死ぬかもしれない。 だから今日を悔いなく生きる!
回遊魚の如く動き回らないと酸欠状態になる。帰巣本能を忘れた肉体派オヤジの全く世の中の役に立たない独り言・・・

戦国時代の安芸の国人衆に 天野氏と言う一族がおりました。








出自は 藤原南家工藤氏を祖とし、伊豆国天野郷に在しましたが、








南北朝時代の争乱期に天野顕義が安芸国志芳荘に入って来ました。








その後 足利義政に志芳荘東村の地頭職に補任され、








応仁の乱の功績により、志芳荘全域を与えられ、大内氏に属しました。








その後 興定の代には、出雲の尼子氏に組したため 大内氏より旧居城の米山城を攻められ、








旧知の 毛利元就の取り成しにより、和睦が成立します。








大内氏滅亡の後は 毛利氏に仕え、勇将として名を馳せ、








米山城から生城山城に居城を移しましたが、元定に嗣子が無かったため、








毛利元就の七男 元政が天野家を継ぎます。








そして元政が右田毛利(天野毛利)氏祖として、周防に移るまでの間の居城となりました。












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頂上付近は平たく、城郭があったことをうかがわせます。








標高485mの生城山山頂にあった本格的な山城と伝わっています。








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登山(山歩き)として上がったことはありますが、城郭遺構をじっくり見ていませんので








今度はしっかりと調査してきます(笑)