戦国時代の安芸の国人衆に 天野氏と言う一族がおりました。
出自は 藤原南家工藤氏を祖とし、伊豆国天野郷に在しましたが、
南北朝時代の争乱期に天野顕義が安芸国志芳荘に入って来ました。
その後 足利義政に志芳荘東村の地頭職に補任され、
応仁の乱の功績により、志芳荘全域を与えられ、大内氏に属しました。
その後 興定の代には、出雲の尼子氏に組したため 大内氏より旧居城の米山城を攻められ、
旧知の 毛利元就の取り成しにより、和睦が成立します。
大内氏滅亡の後は 毛利氏に仕え、勇将として名を馳せ、
米山城から生城山城に居城を移しましたが、元定に嗣子が無かったため、
毛利元就の七男 元政が天野家を継ぎます。
そして元政が右田毛利(天野毛利)氏祖として、周防に移るまでの間の居城となりました。
頂上付近は平たく、城郭があったことをうかがわせます。
標高485mの生城山山頂にあった本格的な山城と伝わっています。
登山(山歩き)として上がったことはありますが、城郭遺構をじっくり見ていませんので
今度はしっかりと調査してきます(笑)