to say nothing of
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スーパーカーのベスト

が出たみたい。

友達が買ってたのを拝見させてもらった。

何年か前にも出てたけど、やはり解散の時は出さざるをえないのかな。そのあたりの事情はよくわからんが。

曲目はあまり見なかったんだけど、中に山崎洋一郎のテキストがあった。別に彼のファンじゃないけど、そういうのがついてるだけで欲しくなる困ったチャンの俺。

久しぶりの

かなり長いこと放置してしまった。
まぁ、いろいろありすぎてブログどころではなかったのだけど。

これから、暇を見つけては復活します。

忘れないうちに、先週購入したCDをメモ。



アーティスト: ダフト・パンク
タイトル: Human After All~原点回帰




アーティスト: ザ・キラーズ
タイトル: ホット・ファス




アーティスト: LCD・サウンドシステム
タイトル: LCD SOUNDSYSTEM(CCCD)

フジロック05の第一弾

20世紀少年(18)を購入した。
ケンジの唄は是非岸田君に唄って欲しいと思う。
それから某雑誌の編集長みたいなDJが登場してた。
それにしてもこの漫画、けっこう突拍子も無いとんでもない近未来の日本が舞台であるにもかかわらず、それを破綻無く描いているのはすごいと思う。

それから、音楽のクーポンがあったので
巷で噂のブロックパーティーも同時に購入。
ストロークスをポストパンク的に解釈するとこうなるのかなって感じの音。


アーティスト: ブロック・パーティー
タイトル: サイレント・アラーム


そうそうフジロック05の第一弾が発表されてた。
ファットボーイスリム・ビーチボーイズ・ミュージック(仕事)・くるりetc
くるりのステージが気になる。

あと、散髪もした。

解散後の一日

二人でチキンカレーを作った。
BGMはituneのShuffle。
!!!とニルギリスとが何の違和感も無く繋がる不思議。
中に誰かいるの?などと思ってしまう。


アーティスト: Chk Chk Chk
タイトル: Louden Up Now



アーティスト: NIRGILIS, yuki INADERA, HOPPY KAMIYAMA, acchu IWATA, KEN ISHII, moyo SATAKE
タイトル: ニュースタンダード

暇を見て相方がバレエの型をやっていたので、思わず写真に撮った。
今日はいつもより笑っている時間が多かった気がする。

スーパーカーの解散後、何事も無かったように過ぎてゆく
久しぶりの休日日和だった。




アーティスト: スーパーカー, 石渡淳治
タイトル: スリーアウトチェンジ


トラックバック

一昨日、ちょっとだけipodの事に触れた。
今日見てみると、トラックバック(TB)がついてた。TB先を見てみると、ipodのことが書かれてる。画像付きで、ここより断然目を引く。

新ipodの情報だけに限れば、そのTB先の情報で充分事足りる。
ここを見ている人がそちらもみれるようになり、そちらを見るほうがより有益だ。そうしてこのブログは、ネットワークの一端としての利用価値を失う。あるいは(誤解を恐れずに言えば)、TB先の勢力拡大のためにだけ利用されるだけになる。

発生過程における神経系のネットワーク形成も同じような意志をもっているのだろうかとふと思った。神経細胞の一つあるいは一群が、シナプスを形成しようとする働き。

単なるネットワーク形成のモデルであれば、コンピューター上のシュミレーションで事足りる。モデルとしてのブログが面白いのは、それが人間の様々な思考の予測不可能性を表出するから。それはごく僅かな割合で突然変異を起こす。そしてコミュニティー間の繋がりができ、また別種のコミュニティーを形成する。中枢と末端ができるように。脳における野のように。

一つの例として、SNSの大手Mixiネットワーク関係を可視化するツールってのがあるらしい。

 「あ、こことここがつながっているんだな」なんてのが、わかりやすく表示されるのには、ちょっと感動しました。
お気楽極楽@ぶろぐから引用)


SNSの場合は閉じたネットワークだが、でも「こことここがつながっているんだな」という予測不可能性が見られる。

数多くのTBがつくブログがあるかと思えば、ここのようなほとんど個人の自己満足でしかないようなブログが数知れずある。そういった小さなブログでさえ、突然変異の萌芽をもちうるということ。

増殖と消失。
共有による相補。
フィードバックループ。

TBすること、それは生命の多様化の過程に似ているのかもしれない。まず可能性を多くする方向に向かい、そして淘汰される。

なにをいまさらと思われるかもしれないが、この比較は興味深いと思ったのでメモした。


参考までに
ループ、そして、死滅の本質へ  G.o.a.P

トラックバック(Goo)

テスト

携帯からやってみる

オアシスの新譜とか

今日は疲れたので、もう寝る。
その前に。

オアシスがニューアルバムの完成を告知
ウィーザーに負けないくらい不安要素たっぷりな、オアシスですが、俺は好きです。ええ勝手に買います。

それから、スーベニアのアナログ盤がでるらしいです。いろいろ特典付いてるみたいです。せっかくまだもってないから、そっち買おかな、なんて思ってしまいます。

あと、ipodのminiなどが値下がりするみたいです。
第2世代iPod miniと安くなったiPod photoが登場

で、ココに変更点がまとめてありました。
再生時間が長くなったのはいいですね。対して書くこともないんですが、今となっては、やっぱipodshuffleの価格破壊の結果ですかね。

ライブドアの話とかすごいことになってるみたいですが、そんなのお構いなしで(切り込める知識も無く)音楽ニュースでした。
カット&ペーストばかりですが、まぁそれも一つの意義だと思いますし。

プロアマ問題

例えば、ビートルズがやっているステージの隣で、アマチュアバンドがより大勢のオーディエンスを集めていたら、レコード会社は即座に契約を考える。

社会人野球にこの上なく上手い奴がいれば球団は先を争ってスカウトする。その他、野球の場合、ある球団を自由契約になったとしてもトライアウトという制度があり、実力があれば別の球団との再契約の可能性が残されている。

プロとアマチュアとの違いは何か?
対象を生業としているかいないかの違いであり、それゆえプロは実力主義でしかありえないということだと思う。

そのプロとアマについて、今、ある場所でひっそりと騒がれている(変な表現ですが)問題がある。将棋界の話。
将棋の世界では、プロに総合的に勝ってもプロになれない。あるいはスカウトされない。プロに勝つのになぜプロではないのか?じゃあ何のプロなのか?

その理由に、将棋界には奨励会という制度がある(下方参考)。
将棋のプロになりたい方がいれば、そこに入会をしなければならない。

そしてその奨励会制度には年齢制限がある。

※年齢制限(将棋連盟webサイトからの抜粋)
満23歳(※2003年度奨励会試験合格者より満21歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる。ただし、最後にあたる三段リーグで勝ち越しすれば、次回のリーグに参加することができる。以下、同じ条件で在籍を延長できるが、満29歳のリーグ終了時で退会。


ある年齢までに、4段(プロ)になれなければ奨励会を退会しなければならず、それ以後プロになる道は残されていない。それが現在の制度だ。

よくよく考えるとその類の制限みたいなものは他の世界にだってあるのだと思う。ちゃんと明文化されていないだけで、皆それなりに年齢によるプレッシャーを受ける。どの世界においてもある一定の年齢の間に自分の実力に応じた範囲で職業選択の自由が得られる。

将棋界においても基本的にはそうである。しかし、その年齢制限が20代という若さで来る。それ以降は、どれほど実力があってもプロになることはできない。

何故、年齢制限が必要なのか?ということについては理解が浅いが、一つには、結果的として少数精鋭制にすることで棋士の既得権益を守ろうという思惑がある。
また、将棋の世界では若くして実力のピークを迎えるという考えが主流であり、歳を重ねると実力の向上は望めないという考えがある(スポーツなどではそれは当然のことであるが、将棋界では中年になってタイトルをとった例も少なからずあるのだが。)。
さらに、高齢者が奨励会にながいこといるのは、棋士を目指す若い人々にとって予期しない影響があるかもしれない。好意的に考えると、人生を再スタートする余地を少しでも残しておこうと言う風にも捉えることもできる。

将棋界が、限られた収益で棋士を守っていくためには、少数精鋭にすべきというのもわかる。
しかし、昨今大学が法人化したことで経営戦略について考えざるを得なくなったのと同じようなことを、将棋界も覚悟しなければならないときに来ていると思う。

そんな中、プロのトーナメントに出場し、毎年のように連勝を重ねるアマチュア棋士がいる。
瀬川晶司さん(34歳)。
彼は、奨励会を年齢制限によって退会した一人だ。

その彼が、将棋界のトップ10に入るほどの実力の持ち主である久保八段と対局したときのエピソードとして解説者の勝又プロのおもしろいコメントが紹介されていた。

そして終局間近。
ここで思わず出た勝又プロの小声のぼやきがおかしかった。

「久保八段のこんな姿を見るとは・・・。
 僕自身はほんと、久保八段にはほとんど勝負にさえなったことがなく
 負かされてばっかなものですから。

1回も勝ったことないんですよ~。」

(catvjさんのブログより引用)

通常のプロ棋士でもなかなか勝てないトッププロに、一度とはいえ勝ったアマチュアがいる状況で、プロアマ問題をないがしろにはできない。
実力世界であるのなら、総合力でプロに勝るアマチュアがプロになれる制度を確立すべきである。そういう制度を確立した上で、プロの矜持を示せばいい。

具体策としては、kumagoro131さんがご自身のブログで試案を挙げられている。

個人的には、奨励会からのプロ入りは優遇されるべきだと思う。理由は、奨励会は若い才能を選抜して世に送り出すという機能を担っているし、また、若い頃から将棋に打ち込んできた人への等しい権利として奨励会はあると思うからだ。それは瀬川さんだって例外ではない。その上で、今回のようなことへの対処としてアマチュア用のプロテストを別枠で用意したほうがいいのではないか。

いずれにせよ、全体のプロ棋士数が限られている限り、新しい制度の導入による奨励会員への影響は大きい。しかし、それは制度が変わる時の常である。
さてどうなるか。

一方で女流プロが男性プロに勝つという問題もある。。。と思っていたら、
「世の中驚くことばかり!」というブログにて、そのことについて書いてあった。

奨励会に入るか女流プロを目指すかという二者択一を迫られることは、女流棋士界が独自の世界を持つためにはある程度は有効な戦略だと思える。仮に二束のわらじがはけるのであれば、女流棋士会はどうあがいても男性プロ以下の集団であり続けるしかない。

現在の制度のようにすることで女流棋士界全体としての実力もあがり、将来的には、プロ野球界におけるセ・パのような関係になればよいと思う。その上で、男女プロが同じ割合で参加できる紅白のような棋戦が実現すれば嬉しい。女流プロの待遇が男性プロと同程度になればの話だが。


参考までに

現役プロ棋士の意見として、
渡辺明(プロ棋士:竜王)氏が自身のブログで一言コメントしておられます。竜王といえば、将棋界のビッグタイトル。そのタイトルホルダーの一言は、どれほど影響力があるのでしょうか。

この話題に関する基礎的な知識については
勝手に将棋トピックス
にまとめられています。

またnabe-chanのつれづれ将棋日記では、この問題に経済学的視点から意見を述べられています。最後の将棋の認知度についての感想に同意です。

奨励会の厳しさを描いた優れた小説として

著者: 大崎 善生
タイトル: 将棋の子

を挙げておきます。

WEEZERがニュー・アルバムを発表という記事。

マットシャープと一緒に演ったとかいう話も聞くと、やはり期待してしまう。

けど、不安でいっぱい。後期プリスクール状態。

結局聴くだろうし、聴くまえにぐだぐだ言ってもしょうがないんだろうけど。

クラシックでは踊れない




タイトル: 旅立ちの時
映画『旅立ちの時』で、クラシックとロックの違いについて尋ねられたリバー・フェニックス扮するマイケルは、そう言い放った。

それはまさに決定的な違いだと思う。
踊れるとはどういうことか?
リズムがあるということ、ビートがあるということ。
つまりループがあるということ。

それを突き詰めて、「踊ること」に特化したのが、ハウス/テクノ/ダンスミュージックだと言っていいだろう。
そこには様々なループが在る。

じゃあクラシックには何があるの?
ということになるが、クラシックで重きを置かれる点の一つに
「音が響くということ」があると思う。

例えば、交響曲というジャンルがあるが、「交響」とは、(当たり前みたいだけど)「響き」と「響き」とが交わることだ。
それは当時、交響曲ではないピアノやバイオリンのソロにおいても、「音が響くということ」に重きが置かれていたことをよく示している。

「音の響き」は、無意識に関係するように思える。
「リズムやビート」を、ヒトは理解する。
「音の響き」は、スズムシですら理解する。
そして時々、無意識は暴走する。

・・・・・・無意識の暴走・・・・・・

人は時々なんでもないのに外に出たりする。
出たくなったりする。
たぶんそれは、一種の感情の表出だ。
"精神が肉体を凌駕した"の、また別の形だ。
雨の音を聴きたくなって、
あるいは春の風に触れたくなって、外に出る。
だけどそれは意図したものではない。出てから気づく。
命の燃焼は、そういうところでも地道に行われていたりするみたいだ。

思うに、そういうところで鳴っているべき音をポラリスは作った。
ポラリスは、リズムの側面から語られることが多いが、
音が"響く"とはどういうことか。一つの答えがそこにはある。心地良い。



アーティスト: Polaris
タイトル: Home