(11)進学と三年と暗愚。

後、二人屈服させれば、久慈三波中学は陥落する。三年生に挨拶を徹底させる。敬語も徹底させる。思い描くだけで心地いい。尊大な奴が俺に首を垂れるのだ。

三年生は六月に、県一斉実力模試が控える。矢能ともう一人、元和菊太(げんな・きくた)もその準備をするらしい。塾などに通学を始めたと聞く。笑ってしまう。この界隈で暗愚やその最下層、爆痴を気取る奴の進路はほぼ決まっている。卒業後、塗装工や配管工などに弟子入り。内申書、偏差値取っ払いの高校へ無試験進学。漁師。そうでなければ無職そして駄人の群れへ。受験勉強など不必要だ。虫鍋を潰して四日。凪が続いた。そんなものは。不必要だ。奈州が焦れる。五月テロ、阿形の補導に虫鍋の全身打撲が教師達の哨戒を強めた。虫鍋が舌を齧らないため加害者は糾弾されなかったが、噂は流れる。

屋上で、奈州と武桜が煙草を喰う。春の午前は空が儚い。儚く青く遠い。三時間目終了の鐘が鳴った。奈州が煙草を吐き捨てた。足早に校舎へ駆け込む。三年生の教室は四階。一駆けで着く。その一組。最初に出てくるはずだ。元和。三日間、観察した。授業前、授業中は巡回する教師もいるが、授業直後はまず、いない。授業の準備で職員室に帰っている。穴。駆けた勢いで跳ぶ。跳んだ勢いで打つ。高い打点の膝が顔面を刺す。突然、右眼窩が冷えたと感じた。次に足が頽れる。激痛よりも屈辱。屈辱よりも恐怖。奈州の顔だ。網膜に奈州が映った瞬間。恐怖。「何が、」

「三年だっ、」

三年生側も激怒はしていた。奇襲など勝ちには入らない。鼻翼を尖らせてそう述べ合う。合うが敗北を実感してしまっていた。殺してやると舌叩いても、できない自分達を知っていた。受験が近い。せめてと思う。進学したい。進学するにも、最底辺の高等学校には行きたくない。付近でいえば、隣接する熊津市の私立熊津月宮(くまづつきみや)高等学校、俗称「くまっき」。教師も生徒も最底辺という噂。もしくは久慈学院。どちらも生徒は暗愚か爆痴生のみ。卒業後の飛躍も望めない。高卒の肩書きを手に入れることは出来るといった程度。県外で就職する時、多少有利となる。県内では寧ろ、マイナス。人生の岐路だ。そこへ二年生が沸騰しやがった。爆痴臭いことはそういう連中とやってくれ。俺たちは暗愚気取って二年間楽しんだだけ。久慈三波中の支配などどうでもいい。それが真意。それが総意。けれども。武桜らは納得しないだろう。武桜らは屈服させたいのだ。そして。自分たちも支配などどうでもいいとは申し出ないだろう。まるで敗北の弁解に聞こえる。ならばもう、やるしかない。やる気のある連中は激減している。この時期、際立つわけにはいかない。それでもこの時期だからこそ。やる。それが暗愚としてやってきた中学生活へのけじめ。巻き込まれた他の三年生へのけじめ。侍。俺たちは侍なのだ。暗愚らしい暗愚な結論の下、結束した。

県一斉実力模試の前にやる。三年暗愚らの士気が消沈した。武桜と奈州が沈静化したのだ。遠目に睥睨し合っても、仕掛けてこない。それならそれでいい。一過性の熱だった。それでいい。六月の、実力模試も迫っている。

五月三十日。金曜日。十四時二十三分。教室の隅で、数式の羅列に矢能の脳が不貞腐れ始めていた、その時。後ろの扉が開いた。「失礼します、」怒声。矢能の脳がそれを武桜だと認識するより先に、眉間にバスケットボール。頚椎がずれた。気がした。後は覚えていない。耳鳴りだ。耳鳴りの向こう側に。痛みがあった。武桜が足を振り上げた。痛みは遠く、青く儚い。矢能は、混濁した。


(10)決闘!柔道部道場

残る三年生の一人、虫鍋慈英(むしなべ・じぇい)は柔道部。珍しく部活動が始まる時刻まで校内に残った武桜は、虫鍋との接触を積もうと考えた。いくならいってもいい。奈州はいない。清掃などはしない暗愚だから、校内にはいないだろう。格闘技経験者とやるのは初めてだ。柔道。掴んで引き摺り回す印象しかない。あれが格闘技なのかと思う。殴る蹴るがない。まあいい。そんなことは知ったことではない。柔道場のドアを開けると、虫鍋が一人、運動着姿で柔軟運動をしていた。

最後の大会が近い。だから下級生の喧嘩遊びには付き合わない。そのつもりだった。公式大会で好成績を獲得すれば、内申書、進学に有利。けれども。ふっかけてきたら、いくしかないとも思っている。中学生活の二年近くを暗愚生で通したのだから、こういうツケも回る。儀座とかいう暗愚小僧が一人でやってきた。まだ他の部員はやってこない時間帯だ。ここでいっておけば後の憂いもない。

武桜は臨戦態勢。顔が尖っている。虫鍋も尖る。勿論。先に跳ねるのは武桜だ。先に畳を噛むのも武桜だ。先に跳ね起きるのも武桜だ。先に血を吐き出すのも武桜だ。振り回す拳は当たらない。突き出す足も当たらない。空転し、肩から腰から落ち、頬骨や右鼻翼が腫れ上がる。虫鍋の拳は当たっていた。柔道は格闘技だ。直接打撃はない。けれども。奥襟や袖の取り合いがある。素人の拳打程度、奥襟を取りに来る有段者の掌を知れば止まった孫の手だ。足。ローキック級の捌き合いがある。かわし引っ掛け、相手の膝関節を蹴り潰すことは寧ろ、基本。学生服とはいえ、掴むところがあれば投げられる。受身を知らない素人はそれだけで悶絶する。武桜は頑丈にできていた。それでも揺れ出した脳は、虫鍋の映像を綺麗に結ばない。また。投擲。体ごと投擲。一般教室を改良しただけの狭い柔道場だ。壁が武桜を叩き落す。柔道は強い。喧嘩慣れした柔道家は尚、強い。ただ。虫鍋は喧嘩慣れはしていたが、柔道家と呼べるほど柔道家ではなかった。武桜は体を丸め、力込めた両脚で壁を蹴った。飛んだ。低い弾道で。肉の塊が。虫鍋は反応できず。真横から左膝に直撃。膝の爆裂を聴く前に、頭が弾んだ。側頭部を畳に打ちつけた。後は。ああ殴られているなあと、ぼんやりと。感じたまま。武桜は馬乗り、そして拳を連発する。頭を防御する虫鍋の腕が気に入らない。立ち上がり、防御の腕を蹴り開ける。顎まで刈る。柔道なんてこんなもんだろう。

柔道場のドアを開けた瞬間、彼はアリクイがいると錯覚した。虫鍋先輩に馬乗る同級生だと認識するには一ミリ秒。怒声を上げて武桜を襲撃する。後輩として柔道部員として当然のこと。だけれども。部活動にやってきた呑気生と柔道部副部長をくちゃくちゃにしている最中の暗愚生では、気勢差があった。怒声を上げても意気は呑まれていた。格好も学生服に横掛けの鞄。低く跳んだ武桜に膝を押さえ込まれた。学習していた。足を潰すこと。横転した後輩に土踏まずを振り上げ、突き下ろした。

問題にはしなかった。ただ虫鍋が柔道部を去った。柔道部への筋を通した、暗愚らしい引退だった。鎖骨を蹴り折られた後輩の彼は、虫鍋を二度と先輩とは呼ばなかった。校内で虫鍋の姿を見ると、反吐が出た。


(9)vs教師も暗愚のお仕事

昼の科学室。阿形が武勇伝をまくしたてる。停学等の処分には到らなかった。それを不服と嘯く。あいつら、びびってるんすよ、といく。武桜は興味がない。奈州も同様だ。暗愚ではあっても爆痴ではない。その境界は難しいが、万引き程度で武勇伝を気取るなど、爆痴にもほどがある。そんなことよりも、三年だ(と考える奈州、武桜も十分爆痴臭いのだが)。矢能他二名は牽制を決め込んだらしい。五月テロの尾が、三年教室付近に体育教師を立たせた。無闇に殴り込みにもいけない。

奈州と別れ(阿形を押し付け)教室に向かうと、生徒らが道を空ける。心地いい。午後の授業に出てみる気になる。五時間目は社会科、日本史だ。教室でも王様。さあと空気が割れる。席に座る頃には二、三の暗愚が飛んできている。この学級では仲の良い方だ。好きな漫画の趣味が合うといった程度。その辺りは暗愚であっても他と違いはない。違いがあるとすれば、その漫画を読む為に、毎週の掲載雑誌を献上させていることくらいだ。ぎゃははと盛り上がるうちに授業が始まっていた。社会科教師・将治進実(まさはる・すすみ)が黒板前でこちらを一瞥する。寸瞬だが嫌な頬色をした。他の暗愚らが席に着くのを待って教科書を読み始める。一分十二秒で飽きた。バラエティ番組のアナウンサーだ。余りにつまらないので野次を飛ばしてみる。若干ウケた。取り巻きの暗愚らだ。「すいませーん、信長くんが早退するそうでぇす」取り巻き暗愚が爆笑する。こうなるとネタは沸いて出る。

「秀吉がひでーよーって泣いてまーす」「明智さんがあけちくれって怒鳴ってまーす」暗愚らは大爆笑だ。呑気生らは微動も挟まないが、武桜は気分が良くなってきた。野次は止まらない。将治は「授業を受ける気がないなら出て行きなさい」と怒鳴るべきだ。怒鳴るべきだが建前、それは禁句だ。生徒には授業を受ける権利がある。出て行けと怒鳴ることは、管理指導能力がないということ。ぎゃははと笑う。暗愚らはそう笑う。将治はその笑い方が大嫌いだ。程度が知れると思う。そう笑っていい席もある。笑い方の良し悪しではなくその区別がつけられないというのは、程度の問題だ。「おい」と声を荒げた。判っていた。逆効果。暗愚らは更にぎゃははと張り上げた。喜ばせるだけ。判っていて、教師生活七年目でも止められない衝動。「君たち、やる気があるのか、」「ないでーす」


将治は思う。際立つことに夢中になるのが暗愚だ。それに飽き足らず、好き放題を充実させる為に暴力、犯罪も厭わなくなれば爆痴。校内最強を争って喧嘩する程度なら、暗愚な奴らで済まされる。武桜は。将治の目には。爆痴へと邁進しているようにしか見えない。



(8)家庭訪問〈奈州明輝の家から阿形礼恩の家〉

 芦束は応接室で杉蔵氏と対面した。あからさまに不機嫌だ。明輝くんのことで、と口を開くや更に、口元を歪めた。ために言葉が止まった。

 「お任せしますよ、」と言われた。ついと立ち上がろうとするのを押し留める。「ご家庭では彼はどんな様子でしょう、」「知りませんよ。仕事が忙しいのでね、」「明輝くんですね、最近少し素行が悪いようで、」「だからね、そういったことをやって貰う為に学校にやってるんでしょ。それを何故ウチに持ってくるの。」「いえ、そこはですね、教育というのは、学校とご家庭とで一丸となってですね、」「あなた達は専門家でしょう、教育の。私ら判りませんからね、教育のむつかしい話は。だからお任せしてるんでしょ。それをウチと分担でやれとは、仕事楽したいんですか、というのはまあ、悪い皮肉ですがね、」「教育というものはですね、学校だけでは成立しないのです、」

「成立させて下さいよ。期待してます。宜しくお願いします。それではまだ仕事がありますので。」

 有無の隙を与えない言動で、杉蔵氏は退室した。なるほど。そういう義父か。奈州の母親の所在も訊けなかった。俺は無能か。小さく唸る。ともかくこのまま帰る訳にもいかない。看護士を捉まえて母親のことを問うた。「明輝くんのお母さんは、仕事の関係とかで京都に行ってますよ、」

 母親は服飾商売の見習い中だと言う。典型的な「放って置かれ子」か。それにあの義父。しんどい環境だ。奈州の荒れる気持ちも理解できなくはない。携帯電話が鳴った。今度は一年の阿形だ。阿形が万引き。奈州と武桜が惹き起こした災厄はまだ、終わりそうもない。

 大型スーパーマーケット事務室から阿形を引き取り、そのまま彼の家へ向かう。十八時四十二分。自宅への電話連絡により、父親の帰宅は確認されている。アパートの四階まで上ると肺が軋む。阿形の父は相好を突き崩して現れた。阿形の脳天に軽く一発拳骨を落として、部屋に行っていろと促す。大柄。配管関連の仕事をしている。母親はパートからまだ戻らない。器用に茶を出す。「大変だね、先生も。万引きくらいでこんなねえ、」とんでもない台詞が軽妙に転がり出た。

 「いえ、万引きも立派な犯罪ですから。」阿形父が爆笑した。「いや俺もガキん頃はやんちゃしてたんだけどさ、先生っていうのは相変わらず言うことおんなしなんだもやあ、俺も俺の親もおなしこと言われた言われた、」言ってまた、笑う。「笑い事じゃないんですよ、お父さん、」「いやまあ、元気に育て過ぎちゃったかな、おい、礼恩、」奥から阿形がのそりと顔を出す。「お前、俺まで先生やお店に怒られるだろ、もう万引きとかすんなよ。」

 怒られるからしてはいけない。そういう教育が一番駄目だ。何故してはいけないか。それを明示しなくてはならない。芦束は疲れていた。三年生と一、二年生の対立。奈州と儀座。矢能の退院、復学。杉蔵氏との面談。阿形の万引き。阿形父に教育の基礎を説く気力がない。

 「とにかくですね、ご家庭の方でもしっかりと言い聞かせて下さい。万引きはやってはいけない犯罪なんだということもですが、その他の、学校での生活態度もですね、かなり乱れてますので。」「そうなの、お前。面倒なことをウチに持ち込むなよ。いやね、先生、ウチとこは自分の始末は自分でつけるっていう、なんてんですか、筋を通した生き方できる男になって欲しいって育て方なんですよ。筋通らないことやってたらばんばん殴ってやって構わないっすから。」

 話にならない図を目の当たりにした。本日二度目だ。芦束は軽度の目眩に足を取られながら、阿形家を出た。

(7)家庭訪問〈奈州明輝の家〉

芦束教諭は杉倉眼科の前に立った。今年度に入ってから校内が荒れている。奈州明輝と儀座武桜による。儀座は昨年度まで一般的な呑気生だった。恐らく。奈州が先導しているのだ。奈州は昨年度から暗愚生であり問題児だった。芦束は奈州の家庭訪問を思い立ち、やってきた。奈州の実家は杉倉眼科。姓が異なる。杉蔵氏は義父。奈州明輝は杉蔵氏の後妻の連れ児。そういう関係だ。何故、奈州は杉蔵姓を名乗らないのか。立ち入った家庭の問題なのだろうと思う。

と、男性が出てきた。「ふざけるな、」と大声で院内に吐き捨てた。驚いてつい、「どうなさいました、」と声をかけてしまった。頬を尖らせた男性は芦束を一瞥すると、ほうと長い息を吐いた。「いえね、」で始まった話を聞けば、こうだ。彼の母が来院した。目が痛い、眼鏡をするとひどく疲れるので新しく作りたいけれど、その痛みがあるのでまず診察をしてどうすればよいか助言を頂きたい、という意向で、だ。二時間近く待たされたが、町医者でもあるし患者が多いのは名医の証拠と納得していた。診察は二分となかった。眼を覗き込み、眼球の動作を確認し「白内障だ、」と一言。目が痛いんですけど眼鏡の方は、と言う母の言を遮断して「手術するなら二ヶ月先まで予約で一杯だから、」と告げ、黙す。いえそれは判りましたが、今ね、目が痛いんですよ、それで眼鏡が合っていないんじゃあないかと思って作り直したいんですけど、それじゃあ今、作らない方がいいんでしょうかね…杉蔵医師は黙したまま…あの、目が痛いのは改善されないんでしょうか…そこで彼の母はその光景を目撃する。五月蝿げに顔を顰め、看護士に顎をしゃくって「この患者を外に」と合図している杉蔵医師。ショックだったという。ために促されるまま退室し、診察料を支払って帰ってきた。そして彼の前で、悲しそうな顔で、目が痛いの解消されなかった、眼鏡のことも何も助言貰えなかったと呟いた。詳しく聞けば、そんな風にあしらわれたと。彼は激怒した。目が痛いと言っている患者をそのまま帰した。眼鏡の件もそう。白内障で視力に問題が出てくるなら、言及すべき事柄もあるだろう。例えば自動車の運転はどうだ。しても良いのか。控えた方がいいのか。夜間は止めた方がいいのか。色々と生活面でのそれがあるだろう。彼はただ、その怒りをぶちまける為だけに来たのだと言った。診察料を返せとか謝罪しろとか、そういった要求はない。こういった輩は、頭部など、状況をやり過ごす為の道具程度にしか考えていない。下げれば問題解決だ。だから怒鳴り散らした。そうしなければ気が済まなかった。あんたもこんなところは止めた方がいい。言いながら自動ドアに張られた「白内障手術臨床実験の学界出席に関する休診のお知らせ」を引き千切り破り捨てた。「技術しかないならそんなもん、ただの医療技術者じゃねえか。真っ当な教育から受け直せ、」叫ぶともなく呟きながら、彼は去った。

なるほど。そういう義父か。風聞で人柄を判断するのは危険だ。彼の母が事を大袈裟に述べたのかもしれない。けれども。医者という職性柄、患者をそういう精神状態で帰してはいけない。重大な疾患が発見されたなら暗い表情で帰すことにもなるだろうが、彼の母の場合、そうではない。ならば。どういう理由であっても、あってはならないことをした、ということになる。そこも含めての、家庭訪問となった。

(6) 久慈三波中学・五月喧嘩テロ

奈州と武桜の思惑、決意は、けれども空転した。三年生が仕掛けてくるものと気を張ったのだが、その気配がない。寧ろ距離を置く風に見える。

繰り返すが中学生の喧嘩には、さほどの格差はない。際立って強い者も、確かにある。あるが、だ。極少数。小学校から上がったばかりの新一年生級はともかく、二年三年辺りに大きな格差はない。けれども差異は生まれる。それは覚悟。気合。胆力。…があると思わせたものが上位となる。実際にあれば尚、良い。相手を呑む。相手の意気地を断つ。それだ。

奈州と武桜の、矢能病院搬送と授業中の三年学級乱入は十分に三年生を呑んだ。最上級生としての意気地を断った。結果、暗愚を気取っていた多くの三年生が仮面を剥がされた。一部の腕に覚えある三年暗愚生は、出方待ちを選択した。何をやらかすか判らない二人。その印象が三年生暗愚の足首にぬめりついていた。

加えて一方。二年暗愚生らが二人に寄り添い始める。元より奈州には取り巻きじみたものがあった。二年暗愚集団が形成された。奈州がトップなのは構わなかった。微妙なのが武桜だ。ツートップならそれも構わないが、それにしてもつい数週間前は呑気生だった武桜をトップに据えるのはどうか。危惧は不必要だった。誰も切り出せなかった。奈州と殴り合ったことは確か。とすれば武桜に意義を唱えることは奈州の実力に意義を唱えることになる。そういう暗愚らしい理論で、武桜に関しては全て不問となった。そこに一年生が挨拶にくる。小学生の頃から暗愚生に憧れていた手合いだ。阿形礼恩(あがた・れおん)もその一人。阿形は父が元・珍走倶楽部員だったこともあり、暗愚生への憧れが強かった。小学六年生の時に自転車で集団迷惑走行を行う珍走倶楽部を結成したこともあった。中学進学を折に一気に暗愚への道を激走するを決意していたのだ。そこへ武桜と奈州の武勇伝。河豚毒だ。分かっていて美味に負け喰らってしまう。痺れ。それだけではない。計算もあった。一年で卒業してしまう三年と居残る二年。どちらにつくべきか。答えは簡単。阿形は小学生珍走倶楽部の面々を率いて傘下に入った。

そして五月を迎える。状態は膠着。二年一年と三年の対立構図は停滞した。現実的な問題として、自覚的本格的暗愚生は一パーセントもいない。多少の髪型違反、多少の服装違反、持ち物違反、その他少々の校則違反をぶら下げた半暗愚が全体の四割。この四割はそういった対立には興味がない。もしくは興味本位でギャラリーと化す。それはどの学年も同様だった。それを知って見世物になる暗愚生ではない。はずだった。武桜がいった。

五月初旬の長期休日週間明け。登校中の三年暗愚を襲撃した。その勢いで校門に到着するまでに三人。虚を射竦められた三年生はうろたえた。うろたえたのには意味がある。今日は矢能が復学する日だった。それを機に下級生に踏ん張りをかまそうと息巻いていたところを、叩かれた。教師達も虚を抜かれた。矢能が登校すれば必ず問題が起きると構えていたところを、透かされた。先手先手でくる。武桜が芦束に捕獲され、生徒指導室兼美術準備室に連行される。始業の鐘に四分遅れて、矢能がのそりと登校する。下駄箱を待たずに、奈州が呼び止めた。陽動策だった。武桜が動く。そちらに関心が向かう。矢能が手薄になる。それでも取り巻きの二、三人は覚悟していた。無名の二年に病院搬送をかまされた矢能だ、復学初登校に取り巻き引き連れることを恥と考えた。その浅薄な男前憧れっぷりが状態を悪化させた。「矢能くん、」奈州の一言に首をもたげる。「奈州!」


武桜を指導中だった芦束に伝令が飛んだ。奈州と矢能が昇降口でやりあっている。芦束は舌打ち一つ残して走り出した。武桜が笑った。



奈州対矢能は、無効試合となった。保険医に目撃され、電光伴う石火のように教師が推参したのだ。構わず肘を振り回す奈州に、腰が引ける矢能。勝敗自体は見えていた。負け虫の目をした矢能の肩越しに芦束が見えた。奴は面倒だった。奈州は舌打ち一つ残して走り去った。矢能が大きく息をついた。


武桜と奈州はそのまま校内に潜伏した。「授業は午後から」休み明けだ。暗愚はみなそう思う。そうして大概、校内のどこかしらでサボタージュを決める。それを狩る。体育館裏では二人獲れた。プール裏では一人。給食室前で一人。科学室で三人、だけれども逃げられた。深追いはしない。追い詰めるのだ。三年を。体育用具室には三年女子暗愚が四人。これは無視。いじっても面倒なだけ。阿形が注進する。懲りずに屋上に三人。「俺らでやっちゃいましょうか、」使える後輩をアピールする阿形に、いけと指示。これであらかた、際立った三年生は殴り潰したことになる。けれどもまだ、問題はある。矢能を含む三人。三年暗愚の核。奴らが野放しになっている。矢能は奈州との殴り合いで戦意喪失したが、三人揃えば立ち返るかもしれない。何よりその三人は珍走倶楽部に属している。正式メンバーではないが中学卒業後、加入予定だ。校内の騒動が珍走に繋がると厄介だ。警察の介入も速やかになる。住みづらい中学生活の為に頑張っている訳じゃあない。逆に三年暗愚残りの三人はそこに望みを見出すはず。珍走の看板で殴ろうと構えるだろう。その看板の下に三年暗愚が団結する可能性もある。この久慈三波中学・五月喧嘩テロが、その結束を促す触媒になることも考えられる。早期決戦だなと武桜と奈州が頷き合う。

阿形が、顔を腫らして帰ってきた。笑っているから狩り勝ったのだろう。


(5) 武桜と明輝

生徒指導室代わりの美術準備室。武桜と奈州。目の前に芦束。凄むでもなく和むでもなく、説教。三年生は受験があるから迷惑をかけるな。お前たちも来年は受験だろう。その元気を部活動で発散させたらどうだ。気持ちは判らないでもないが。何かあったら来なさい、力になるから。相談にも乗るから。そんなところだ。芦束の自己満足な訓示を聞いてやっている。そんな感覚だ。二十分程度で解放された。

さてと、学級に戻って授業を受ける気はない。かといって二人お揃いでサボタージュも気持ち悪い。何気なく武桜を見た。武桜は、にいと笑った。怪訝に鼻先を歪めると「三年もそんなに強くはねえよな、」と笑う。「不意打ちじゃねえかよ。っていうかお前、何がしたいんだよ、」

「何がしたいつうか、目障りじゃん、偉そうなのが周りにいたら。誰が一番強いかとかそんなのにも全く興味はねえんだわ。単純に、目障りだから排除したいだけ。楽しく好きなことやりたいからね。」

溜息が出そうになって、出なかった。そんなもんかも知れねえ。暗愚の本質を突いているのかも知れない。考えてみれば奈州もそうだ。際立った劣等生ではない奈州が中学入って最初の夏休み終わる頃には際立った暗愚になっていた。家庭環境への反発もあった。高圧的な教師への反発もあった。おとなしくしていても、おとなしくしているからこそ嬉しげに絡んでくる暗愚な先輩もいる。全て総じて目障りだった。だから奈州は髪を上げてみた。染めてみた。耳に穴も空けてみた。元より暗愚への憧れがなかったとも言えない。夏休みはいい契機だった。力を振るえば振るっただけ、好きに振舞える。奈州はその真理を知った。

「奈州、聞いてる?」武桜が覗く。「何よ、」

「学校ちょろけてコンビニでも行かねえかって誘ってるんだけど。」


仲間意識が葺いた。武桜にだ。奈州はそうでもなかった。武桜にとっては初めての喧嘩相手であり、殴り込みの共犯者だった。さして乗り気ではない奈州を無邪気に引っ張ってコンビニエンス・ストアの前に座り込んだ。

「奈州、」「あ?」「三年さ、」「ああ、」「夏までになんとかやっちゃおうや、」「はあ?」

無茶なフリも大概にしろと思う。「卒業するまで待つなんての、格好悪いもさ。」

それは判る。判るが。いや。

「お前、人数集められる?あいつら多いぞ、結構。」「無理に決まってるもよ。俺はお前、二年デビューよ。つうか昨日デビューじゃん。」

「あいつらん中にはよ、珍入ってる奴もいるもぜ、」

珍とは珍走倶楽部の略、バイクで集団迷惑走行を繰り返す彼らのことだ。「まあ、」

「その時はその時だろ。」

溜息を吐いた。けれども。やる気にはなった。このまま暗愚を気取っているより、暗愚なら暗愚らしくそういった目的を持つのも悪くはない。「とりあえずよ、儀座、」「タケオでいいもさ、」「タケオ、」「何だよ、」「ジュースおごれ。そうしたら考えてやる。」

「奈州くんよ、」「あ?」「そこはじゃんけんでいこうや。」


(4) 特攻!三年二組。

喧嘩。儀座武桜に勝算はあるのか。武桜は強いのか。久慈三波中学のトップとされる矢能を潰した。そんなことが可能なのか。中学一年三学期末まで一般生徒だった男だ。

不可能ではない。恐ろしく殴り合いの強い人間はいる。弱い人間もいる。けれども稀だ。例えば、格闘技をやっているとか。例えば、尋常ない巨体だとか。そうでなければ、実はほぼ同年代間では実力に差異はない。喧嘩に限って言えば、だ。同学年で際立って身体能力の高い人間はどれ程いるか、と考える。身体能力をグラフにすれば大概、菱形になるはずだ。つまり身体能力が際立って高い人間、低い人間というのは少数で、後は団子。となれば上の下に位置する人間はそれなりの人数を見下ろす形になる。まして喧嘩など。やりたがるものは少ない。言い換えればやる気になればある程度のポジションは確保できることになる。学校内喧嘩ランキングの三位以下などはその部類であることが極めて多い。際立って強い訳ではないのだ。では、校内一位はどうだ。強いのではないか。強い。けれども相対的にだ。この学校では、だ。恐ろしく殴り合いの強い人間など、そう多くは配置されていない。どちらにせよ、武桜のようなランキング参加をしてこなかった人間は、実際殴り合わなければその力は計れない。奈州とやった。まあ、やれた。矢能も潰した。三位程度、三年の暗愚グループ程度の力はあると自負していい。

武桜は先日手にした小さな自負を握り締めて、三年二組の扉を開けた。

武桜と奈州に幾十対もの視線が飛んだ。既に教師が教壇に立っていた。未知の感覚が奈州を捉えた。何故、こんなことに付き合ってしまったのか。判っているのは一つ。嫉妬。矢能を取られた嫉妬。春休み前は群れに埋没していた小僧だ。思い立って金髪にしただけの小僧だ。そんな小僧がトップを潰した。昨年の夏休み明けから半年以上、一年最強の顔をして闊歩していたのは誰だ。俺だ。やるなら俺がやるべき相手だった。ここで武桜一人が三年の教室に突入すれば、勝敗問わず、又一つ、武桜の勲章が増える。奈州は下落する。武桜の真意を問い質しに訪れて、その事実を突きつけられるとは。だから、同行した。こそばゆい噂話をプレゼントしてやるものか。

奈州が先に、跳んだ。勢いに任せた膝が暗愚な髪型の先輩を直撃した。顎だ。座った椅子もろとも卒倒した。先手を取る。喧嘩はそれだ。武桜は出遅れた。鼻翼を逆立たせて立ち上がる先輩方が奈州に向かう。「お前ら、」大音声に乗って大柄な教師が割って入った。隣の学級へ向かう途中だった数学教師兼生徒指導の芦束(あしつか)教諭だ。芦束は柔道、剣道、空手、合気道の段持ちだ。何れも県代表レベルだと豪語する。豪語するだけあって、胆力がある。奈州と武桜の登場に肛門を引きつらせていた網町教諭とは比べるべくもない。転げ落ちた先輩に馬乗り、拳を叩き込もうとする奈州の首を太い右腕で抱え、武桜と、騒動を取り囲む暗愚な三年生らを牽制する。「授業だよ。」奥歯でこそぎ出す声に三年生が舌をしぱたたかせる。なるほど。この暗愚な二年生が乗り込んできたということか。奈州と、もう一人は、誰だ。

武桜の右肩を掴んで引き摺る。意味もなく踏ん張る武桜だが、引き摺られる。「網町さん、三組に行ってしばらく自習だと言っておいて。」

(3) 暗愚生の行動原理は負けん気。

矢能が入院した。昼過ぎに登校した奈州がまず聞いたのはその一報だった。暗愚仲間が注進に来た。儀座。即、浮かんだ。問えばやはり、儀座武桜。「明輝くんは昨日、すぐ帰っちゃったから知らないだろうけど、」奈州と殴り合ったその足で、いったらしい。

場所は屋上への階段。矢能が一人タバコを食おうと通りかかったところを。いった。油断があった。留意していた二年は奈州だけだった。屋上扉の前に座る、初めて見る金髪。軽く凄めば道を空けると踏んだ。凄んだ顔に踵が落ちてきた。踏み外しかけた階段に気を取られた。喉が捻じ切れた。金髪野郎の爪先が刺さった。天井がぐるりと回った。踏み外した。転げ落ちた。つこうと伸ばした手が空転した。腹に衝撃があった。金髪野郎が両脚揃えて着地していた。内臓の空気が口腔に逆流した。呼気を待たずに口腔が破裂した。金髪野郎だ。奴の連打が顔面を強襲する。頭を抱えた。胎児だ。尾骶骨が蹴られた。脊髄が蹴られた。鼻梁が折れた。前歯が折れた。ふっと打撃が止んだ。安堵。はけれども即、蹂躙。足首を掴まれた。落下した踊り場から更に階下へと。階段を転がされた。「二年の儀座だ。クソ矢能。」その声が耳朶を打った。


昼休み。まだ拳が痛かった。武桜は教室の端に席を陣取り、外を睥睨した。思い切り人を殴る。思い切り人を蹴る。勝敗ばかりが気になっていた。終わってみると、傷跡以上に拳や足甲が痛んだ。肉の塊を容赦なく殴りつけるのだから、当然ではあった。その痛みが又。心地いい。殴るということは相手の意思に反することをそいつに刻印すること。俺の意思だけを相手に飲み込ませること。だから殴られると屈辱。だから殴り返す。

昼を過ぎても三年生からの呼び出しはなかった。最上級生のトップが病院送りにされたのだ。この学校のトップが、と言い換えて相違もない。呑気なものだと哂った。その程度の志気なら。勝敗は見えた。「おい。」

漸く最上級生軍団登場かと顔を上げる。奈州が立っていた。無言で凝視する。「やったらしいな、」「退院する日にもう一度襲撃する。それであいつは終わる。」「他の三年は、」「まだいらっしゃってないわ。腰抜け臭ぇっちゃねえな、」「数集めてんだよ、数。」「情けねぇ最上級生だ、」「一年二年、まとめて締める為にだよ、」「で何か、お前のせいで三年生のお兄ちゃんに睨まれちゃった、どうしてくれるのよっ、って文句か?」「二年デビューくんが何を血迷ったか知らないけどな、やり方を考えろっつう、」

武桜が立ち上がる。奈州を無視して歩き出す。呼んでも返事はない。肺がむかついた。奈州は、後を追った。


行く先は。四階。よもや。武桜の思考が読めた。又、やらかす気だ。足を止めかけた奈州に「逃げるの?」と。こいつ俺を巻き込んで。三年の教室に。特攻かけようという腹だ。四階に上がる踊り場で、一呼吸置いた。午後の授業を知らせる鐘が鳴る。所詮中学。一分を待たずに、廊下や階段は閑散とする。それを待って、再び武桜が動き出す。逃げるのかと言われた。馬鹿馬鹿しい。授業始まった三年の教室に殴り込みなど。逃げるのかと言われた。馬鹿馬鹿しい。こいつが始めた喧嘩に俺が付き合う義理はない。逃げるのかと言われた。そんな理知は秒もなく消えた。奈州は暗愚だ。暗愚に理知などいらない。逃げるのかと言われたら、逃げねぇよと答える。それだけだ。

(2) 武桜の衝動。

奈州明輝は足元にうつ伏せた少年に唾を吐いた。「奈州、」少年は呻いた。「ともかくだ、三年をやるぞ、」気が抜けた。負けたのはこいつだ。負けた奴が偉そうに、言う。奥歯が軋む。こいつが結構やるのは判ったが、それだけだ。「三年、うざくねぇか、奈州、」鬱陶しくないわけがない。三年生に大した奴はいないと踏んでいる。二、三人、背後に珍走倶楽部をちらつかせる奴がいる。他に実質力があるのは、「矢能だけだろ、三年なんて。」

矢能広邦(やのう・ひろくに)。三年暗愚のトップ。確かにこいつを抑えれば。

少年が立ち上がっていた。立ち上がっていきなり。前頭部を前頭部にぶつけた。奈州が片膝を突く。「儀座武桜だ。三年、やるぞ。」言い残して、歩き去った。


武桜の行動原理は理解不能と言っていい。自身にも理解不能だ。言わば。衝動。後頭部掴まれ顔押し下げられ、それで嬉しそうに生きろと言われて笑えるほど。俺は気持ちいい人間じゃあない。じゃあ、やるしかなかろうが。という衝動。もういい、という思いもある。十分付き合った。昨年一年間、付き合った。この学校に、だ。教師たちにだ。先輩たちにだ。同級生たちにだ。教師たちにいい顔をし。先輩たちに侍い。同級生たちと笑い合った。したくもないのに。我慢。我慢。我慢。いつまで耐えればいい。楽になった。叫んだら楽になった。俺らしくいくとかじゃあない。衝動なのだ。衝動に従うのみ。邪魔なら排除。それでいく。心配だったのは肉体のスペックだった。二年で喧嘩最強は奈州だと言う。奈州とやる。どこまでやれるか。結構やれた。次は三年だ。三年とは消耗戦でいく。三年が許しを乞うまで捻じ込む。奈州も誘ってみた。乗ってくればそれもアリだ。一人でもいく。