緊急事態宣言前、道の駅南国風良里の東側にある木材工業団地の中に、長宗我部家ゆかりの『阿波塚神社』があるとの情報を得て、行ってきました。
【阿波兵との戦い】
鎌倉時代、長宗我部家7代目兼光のころ、大豊町豊永地域を本拠とし、阿波の一部まで領地のあった小笠原左近太夫が阿波兵を率いて、国分に陣をしき、岡豊城に向かって進撃したそうです。
境内には消えかかってますが、小笠原氏の末裔の方が建てた看板があります。
【金の鉾】
兼光が岡豊別宮八幡宮に戦勝を祈願したとこれ、お宮がパッと明るくなり、金の鉾が出てきて阿波勢の陣の上を飛び回ったそうです。
阿波勢は恐れて平伏したところ、長宗我部勢が攻撃し阿波兵を討ちとったのだそう。
ちなみに、金の鉾が降り立った場所が、岡豊城の南東側、現在岡豊ふれあい館があるあたりとか。
【阿波塚】
討ちとった阿波兵を埋葬したのがこの阿波塚。
阿波塚はその後、数々の異変が起こったので、長宗我部家が祠堂を建てて、霊を慰めようとしましたが、怪異はおさまらなかったそう。
【長宗我部元親】
長宗我部家21代目元親が、永禄年間(1558年から1570年)、長門から壁雲寺の高僧通安が土佐を行脚して法力を見せているのを知り、鎮魂の法会を行ったところ、怪異はぱったりとおさまったとか。
いまは阿波塚神社となり、住宅の中にひっそりと建っています。
【参考資料】
南国市広報 平成26年12月号 なんこく歴史散歩第33回