緊急事態宣言が出る前、いの町波川にある「波川玄蕃城(波川城)」跡に行ってきました。
看板によると、波川玄蕃城という名前は城主と伝わる波川玄蕃清宗から来ており、元親公の妹を妻にしていました。
この波川玄蕃清宗という人物、松田直則「土佐の山城」によると、
”伊予国の大野直之を援護するため派遣されたおり、河野氏の援軍である小早川隆景と独断で和睦を結び。元親から蟄居させられその後反乱を企てたが露見して、天正八年(1580)には阿波国海部に逃れたが、香宗我部親泰に自陣に追い込まれた”
人物だそうです。
このあたりは、またの機会に詳しく調べたいと思います。
【山頂から】
登り切り、車を降りてから街並みを望む。
ちょうどツツジが咲いていました。
標高171mの山頂にあるので、眺めはいいです。
【詰ノ段】
いの町の有形文化財に指定されているようで、
案内板と石碑が建っていました。
【波川玄蕃城雑学】
宅間一之「長宗我部元親50年のフィールドノート」によると、高知県で初めて発掘調査がされた山城らしい。『元親記』には、攻められた際、発掘調査の際、城が炎上した痕跡のわかる遺物はなかったとも書いてあります。
詰めには5間×2間の建物の礎石跡が確認されたそうですが、いまは中継基地があり、確認できませんでした。
右側の山頂が波川玄蕃城跡。
鉄塔が建つ場所がちょうど詰ノ段。
【交通】
道が狭い。特に、山道は行き違えるところがほとんどなく、どうか来ないでーと祈りながら走行。
道は枯れ枝や落ち葉が落ちており、路肩の草や枝で何回か車体を擦った。
ああーキズがー(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
途中360度まわるカーブ、しかも斜面で、雨の翌日のため、砂利とか落ち葉が濡れてて滑りやすい。VODシステムが初めて起動しました。。
路面が濡れてる時はできれば四駆が良いと思われます。
あと車高が低い車は確実にカーブでバンパー擦ると思います。
登ると車を停めたり、Uターンしたりは余裕です。
最寄りの駅は波川駅ですが、歩きはほぼ同じ無理かと。かなり時間がかかりそうなのでお勧めしません。
【参考資料】
宅間一之「長宗我部元親50年のフィールドノート」
松田直則「土佐の山城」