日曜日は高知県立埋蔵文化財センターに考古学研究最前線解説会 「城郭構造の変遷」を聞きにいってきました。

城の成り立ちから、構造、縄張り図の読み方などを実際の城の写真を見ながら説明してくれ、大変わかりやすかったです。

最近吉良氏が自分の中で熱いのですが、

木塚城、芳原城、吉良城の話が出て来ました。

今回は吉良氏の話メインにまとめます。

 

まず、木塚城、なんと初現期の桝形構造があるそうで、どうもそれを作ったのは吉良氏ではなかろうか。とのこと。千田先生も見に来たらしい。

吉良氏、すげー。

 

芳原城の話の中で、春野町は発掘調査の中で、常滑、古瀬戸と言った愛知周辺の焼き物の割合が他地域に比べて多いのだとか。

私、それを聞いて、これはおそらく三河吉良氏との関連だなと。

春野町史によると、南北朝期あたりに、どうも希義系から、三河吉良氏に替わったのでは?

と言われてまして。

後で個別に話を聞きに行くと、吉良氏がいたから、春野町に愛知の焼き物が多かったのだろうとのこと。

やはり考古学すごい。

 

次に吉良城の話ですが、吉良城の詰から長く伸びる竪堀と、朝倉城の詰から長く伸びる竪堀が似てまして、いずれもどうも本山時代のものだろうと。

一時、本山氏が吉良を名乗ってましたからな。

そう考えると、同じ土佐吉良氏でも、

希義系から三河吉良氏へと変わり、戦国期に本山氏、その後、三河吉良氏の系統に婿養子に入った長宗我部親貞が吉良親貞となり、親実へと。

系統が違うわけなんですよね。

 

と吉良氏についてはここまで。

あと、興味深い話としては、土佐以外の四国内で竪堀群のある城はどうも長宗我部氏が関連しているというものと、竪堀群の類型に2つあり、津野氏の城に割とその2つが残ってるらしい。

津野氏も吉良氏と同じく非常に興味深い一族です。

 

あと、吉良氏の城であったらしい森山城も今年度発掘調査がされておるようです。

いやあ、吉良氏熱いですな。