おはようございます
いつもブログの出だしの一文が思いつきません、かまあげです
タイトルの「落ち込んでいても仕方がない」
そう、かまあげは落ち込んでいたのです。
もともと情緒が不安定で基本穏やかな気分なときの方が少ないのだけど
落ち込むと地の果てまで行くのかと言うくらい落ち込んで何もかも手につかなくなる
それこそ食事も水分もとらなくなるし気分転換に趣味でもしようと思っても楽しくない
何故今回そこまで落ち込んだのかというと
簡潔に言うなら「他人に期待し過ぎたから」
かまあげは社交辞令が嫌いです
人間関係を円滑にするなら必要なことだしもちろん相手にも悪気なんてなくて寧ろこっちのことを思って言ってくれてることが大半なのだけど
それが本音なのか社交辞令なのか見極めるのがすごく難しい
「今度ランチでもしましょ〜」の今度は実現しないって意味だってことはわかる
でも「あなたの作品良いと思う!」はわからない。
私は単純だから良いと褒められたら間に受けて喜ぶし、好きって言われたらそれこそ舞い上がってしまうのだけど
そうやって褒めてくれてた相手の本音が実は違った…ということに気付いてしまったとき
自分の中て積み上がっていた相手への信頼感や好意がガタガタと崩れていきます
でもそれって相手は悪いのでしょうか
多分それは違くて、自分が勝手に社交辞令を鵜呑みにしたり、相手が自分や自分の作品を好いてくれてると勘違いしたことが悪いのであって
勝手に喜んで勝手に落ち込んで、1人で感情のジェットコースターをしているだけなんだよね
それにきっとこれからも作品を作り続けている以上はそうした社交辞令だったりましてや批判をされることだってあるだろう
今ここで、こんなことで落ち込んでいても仕方がないのだ
とは言え、頭でわかっていても気持ちが付いてこない
おかしいよね、心って頭のはずなのに
どうしてチグハグになってしまうのかな
昨日はそんなチグハグな感情の沼にずぶずぶ浸かっていて家事も放り出して、絵を描いてはやめて絵を描いてやめてを繰り返したながら床で伸びていました
ありがたいことにくまさんはそれでも怒らないで「今日はカエルみたいやな(のびてるところが」と言って笑って済ませてくれるのでとても楽です
結構昨日は呼吸以外のことはまともにやってなかったのだけどそれでも気付けたことがあって
こんなネガティブなことを書きまくったら後で何言い出すんやと思われるかもしれないけど
自分は自分が思ってるより愛されている
普段はTwitterに浮上して陽気で頭悪いことばかりツイートしているかまあげですが
昨日は感情に任せてネガティブなツイートをしてしまって(普段は思ってても控えるようにしてる
それを見たからなのか空リプだけど私を励ますようなツイートをしてくれる方や直接DMをくれた方もいたり、しんどかったねって励ましてくれる友達がいたり…
ありがたいことに応援してくれる人が実は沢山いるんだって再確認した1日でした
そりゃ沢山の人がいるんだもの、私のことが嫌いとか興味がない人の方が多いのは当たり前で、見て見ぬ振りをするのが当たり前で
それでも私のためにアクションしてくれる人っていうのは「社交辞令」にも当てはまらない本当に応援してくれてる人じゃないか
応援してくれる方や思う存分作品を作れる環境でいさせてくれるくまさんに感謝しながら
今日も私はカエルになっている(なってんのかーい