なぜ、参拝ブログを記載するようになったかについて、あれこれ記載してみます。


私は、特定の宗教を信じるものでもなく、祖先のお墓は浄土真宗にありますし、正月に神社に初詣くらいは行きますが、基本無宗教です。厚く信仰される宗教がある方には罪深いことかもしれませんが、神も仏も深く信仰して、神や仏に祈ったからその願いが叶うなんて考える人間ではありません。

今でもその考え方には大きな変化はありません。
なので、神社やお寺などへ参拝したからといって何の意味があるのか?それで病気が治るわけないではないか?
と言われれば、返す言葉などありません。

数々の寺社を参拝をしはじめたのは、数年前に、息子が病気を発症した時からです。

その頃は、コロナのパンデミックが始まった時と重なっていて、手術時期も延び延びとなり、脳腫瘍については画像診断のみしかわからず、半年くらいは病理確定ができませんでした。

病気発症当初は、じりじりと「どうか良性であるように。悪性であったとしても極力低悪性であるように」ということを毎日考え、祈る日々が続きました。
画像の診断では、悪い方、最悪の診断結果も予想されていて、気が気でもない日々が続きました。

そんな、中、息子の家の地元の病院に向かう途中で、たまたま、四国お遍路の一番札所霊山寺に参拝したのが参拝の始まりでした。
霊山寺に参るまでは、家族の病状への不安や、今後のことを考えては、診断結果をじりじりと、ただ待つ日が続いていました。

そんな状態だと、旅行どころか、外出や遊びもしにくい日が続きました。

そして、どこにも出かけずに、お金をなるだけ使わずに家で悶々とする日々でした。
どんな美味しいご飯を食べても美味しくないですし、暗い日々だったと記憶しています。
そんな状態が続く中で、息子の地元の病院に行く際にふらっと寄ったのが霊山寺です。

 

笠和山 一乗院 霊山寺 – (一社)四国八十八ヶ所霊場会 (88shikokuhenro.jp)


霊山寺に参るまでは、正直、「なんで家族が良性悪性併せても十万人で二十名もいないような病気にならないといけないのか!」とか、「他の人は幸せなのに」と、自分の家族の不幸ばかりを考えて嘆く毎日でした。
特に、新婚1ヶ月もしない時期に発症したので、私達夫婦にしたら、やっとこれで、結婚式なども終わり、子供にお金もかからなくなるし、これからは家内と二人で色々旅行にも行きたいなどと考えていた矢先だったので、自分達の人生の不幸さを恨み、愚痴る毎日だったように思います。


霊山寺は、四国お遍路をする際に一番最初に本来は参拝するお寺ですので、参拝に必要な装備やそのほかのものを多く売っていますし、特に非常に立派なお寺です。
初めて参拝した時は、外出禁止とまではなってませんでしたが、無用な外出は避けるべきのコロナ渦が始まっていた頃でしたが、それにもかかわらず、多くの参拝客がいらっしゃいました。
参拝時に、お寺に納められた祈願札やら、病気平癒祈願の蝋燭やら、なんやら参拝の際に参拝者の皆様が納めれているものを拝見することになり、昔から今にいたるまで、非常に多くの参拝客の病気平癒や回復の願いが記載されている事実を目の当たりにしました。

中には不幸にも亡くなられたご家族のご冥福を祈るものも多く拝見いたしました。
そういったものを拝見し、ふと思ったことは、今でも鮮明に覚えてますが、「自分達だけではない。みんなこうやって家族のために一生懸命にお祈りしているのに何を自分は閉じこもって暗くなっているのだ。」ということでした。
四国まで遠くから一生懸命参拝され、祈られているご家族や患者さんご本人が世の中にはいっぱいいるというのに、そうした方々に比べて、自分が恥ずかしくさえ思えたことを今でも覚えてます。

「暗い心配そうな顔をして心配だとか不幸だと嘆いてばかりいても仕方ない。何もよいことがない。それなら願いが叶うか叶わないかなどわからないけど、息子の住む四国と自分達の住む関西の癌封じとか言われている寺社全てに祈り倒す」「よし、これから88箇所全部お遍路する。」「そんなことしたって意味ないと馬鹿にされたとしても、だから、家にいて悶々と家族の心配したからといって家族の病気が治るわけでもない。暗い顔してたら、患者や、患者の嫁を暗くするだけではないか。もう心配などしない。祈り倒してやる。」となり、霊山寺で納経帳をいただき、その日のうちに、1番から5番くらいのお寺にお遍路し、御朱印をいただいたことがお遍路や参拝のはじまりと記憶しています。
車であれば、結構一気に一日でお遍路のお寺に5つ程度はなんとか、参拝できます。


また、その後日に参拝した7番札所切幡寺も印象的でよく覚えてます。

車でお遍路といってもお遍路には平寺もありますが、車で本堂までは狭路で無理の山中のお寺も多くあります。

駐車場から本堂まで長い長い階段を上る必要があり、切幡寺もそんなお寺でした。
得度山 灌頂院 切幡寺 – (一社)四国八十八ヶ所霊場会 (88shikokuhenro.jp)
切幡寺の駐車場前の山門から歩きはじめ、当時運動不足だった私は、本堂にたどりつくまでに、息も切れ、足はパンパンになりへとへとになったことを記憶してます。
 

なんでわざわざ、弘法大師(空海)は、こんなところにお寺作ったのか、と険しい山に作られた古い階段を上りながら感じました。
でも、汗だくになりながら本堂につくと、そこには、私達くらいの夫婦や、もっとお年を召したご夫婦や、ご老人など含め多くの方が参拝されているお姿を見ることができました。

皆、この険しい路を歩まれ、ご家族の平癒やご冥福のために、参拝されているんだと思うと、なんだか涙が出るのと同時に、息子に恩など売るつもりはないけれど、息子のためにここまでやった自分や家内の歩み、神仏よ見てくれという、妙な達成感を味わいました。
 

お遍路をしてますと、納経帳といって御朱印をいただく帳面を納経所にご提出します。
そこに並んで他の方の納経帳をチラ見すると、同じお寺のページに御朱印が何十にも押され、何度も何度もお遍路を繰り返されている方にも巡りあいます。
平日でも普通にどのお寺も参拝客がいらっしゃいます。

私達夫婦のように車遍路されている方も多くいますが、山寺は駐車場からの参拝でも多くの階段をのぼり大変ですが、向かう道路で、一個一個のお寺を自分のご家族などのために参拝されている歩きお遍路さんをたくさん見ますと、宗教は信じても仕方ない、祈りなんて通用しないとか考える前に、なんだか、暗くなり家で悶々としていた自分がどんどん情けなく恥ずかしくさえなりました。


この4年で、もう88箇所は全て参拝は終了しました。

四国お遍路は、あとは、高野山にいって千願成就と、京都の東寺に行き万満成就の参拝をするだけです。
西国33箇所は現在も参拝中で半分くらいをお遍路しました。

その他、四国也関西の癌封じで有名と言われる神社も多く参拝したおしました。


参拝ブログは、そんな参拝をしながら、行ってみたけれど行く体力のない患者さんや介護で大変で参拝どころではない患者さんの代わりに祈り、脳腫瘍だ!と言われショックで落ち込んで悶々としている方に、せめて写真だけでもと記載するようになりました。
今後も、ブログ的なことは、このアメバブログに記載しますが、写真や動画で行った気分になってもらうにはインスタの方が実感わくと思いますし、リンクのようにお寺の写真もありますので、撮りためた写真などはインスタに記載して参りたい思います。

私が学んだ参拝の効果は
 

「家族や本人が患者となると、旅行や外出、外食の気分もなくなり鬱々となる。
そんな時に、参拝は外出する時に自分を納得させる理由となります。

行ってみたら、寺社の美しい建築建造物をみて、森林などのマイナスイオンをあびて、前向きに元気になれます。」
「自分達だけが決して不幸でもないことがよくわかる。何かしたい、しなきゃと元気を得れる。」
「効果あるかどうかは別として、患者のためにやれることはやるのだというような達成感がある。」
そんなことかと思います。


あと、多くの由緒や病気や癌封じのお寺の縁起や逸話など見ると、祈れば少しは効くかも(神仏には失礼な話かもしれませんが)とか、なんだか、弘法大師ってすごい、こんなに大量に弘法大師由緒の寺がこの世にあるんだということと、なにゆえ、この場所にそうしたお寺を建立、復興したのか?という理由などもだんだんにはっきりわかってきて、そんなの効果ない、意味ないと一概に否定するもんでもないかもとも思えてきます。


最近では、私は、是非、鬱々とされる方や元気のない方で、でも参拝できる体力のある方は、お遍路の弘法大師由緒のお寺でもなくてもよいですので、一度、とりあえず、周辺の寺社に参拝をいくつかしてみて欲しいなとお勧めしたりしています。


心がおちつくだけで、人間は免疫があがることは立証されています。

患者さんに、〇〇で祈り倒してきたから大丈夫!って言うだけ、患者さんは大丈夫!って前向きに思うだけでも病気はよい方向にいくこともあるかもしれません。

プラセボといって、治験などで治験薬を飲んでる人と、飲んでない人の効果を比較するために、本人に知らせず疑似薬を飲ますことがあります。
治験薬だけでなく、プラセボ効果といって、なんだか治験薬を飲んでいると思い込むことで、本人の免疫があがり、なぜかいい方向に病状がいってしまうことが抗がん剤でも実際あると言われてます。

病は気から ともいいます。もちろん、抗がん剤や治療を受けない、癌と闘わないという無謀な行為は絶対よして欲しいと個人的に思いますが、苦しい闘病を少しでも勇気をもってのりきるためにも参拝は悪くない気がします。


インスタには、お遍路寺ではありませんが、息子の手術の際にも祈祷していただいた京都の宇治のはずれにある猿丸神社という癌封じの神社の写真をアップしました。
お近くで行ける術や体力のある方やご家族は一度訪れて欲しい、無宗教ですが霊気を感じざるをえない、こぶとりの神社です。

何度か参拝していますが、どんな時も多くの癌患者さんやご家族が、お参されているお姿を拝見する神社です。

 

追記:西国四番施福寺もインスタあげてみました。写真ポイントがありすぎでしたが、山道は西国お遍路ではかなりきつい方の、ありがたいお寺でした。

 

追記の追記:日本は宗教は自由の国ですし、宗教を否定もしません。
でも、人の弱みにつけ込み、高額なお祓いや高額な薬やらサプリメントやら偶像やアイテムなど売りつけたり、変な占いやコンサルをしてみたりなどの宗教、詐欺がらみの方々には要注意をどうかお願いします。

そうした悪意の方々に対しお金を費やしてしまい、余計な経済負担やストレスをもっては本末転倒です。
お遍路などで実際にかかる費用は、旅費や宿泊費、駐車場代(四国はかからないお寺も多いです)除けば、せいぜいお賽銭と納経所で納経帳にご朱印いただくのに数百円程度が費用となります。参拝関連のブログではそのような程度で何らか安らぎが得られそうなものをご紹介いたしています。