世間でよく、心霊やスピリチュアルに否定的な意見を公言する人がいます。
彼らは、「霊能者は精神障害だ」「詐欺師だ」「ウソを言うな」「証拠を出せ」といったことを言います。
僕に言わせれば、前提として霊能の話は本人の主観に依っていて、客観性は無視して話すのが、この世界の基本的な姿勢であること。故に、客観的証拠を求めるのは無駄です。
心霊否定派は、科学的論考や否定論で矛盾がないなら、その思考で生きていけばいいと考えています。
※ちなみに、宗教は戒律や神学の認識共有から客観性を伴う。霊能とは切り離して考えるべき。
心霊肯定派が主観で霊的問題と認識していて、それを霊的な方法で解決しようとすることには、そこに至る過程があります。今まで科学的な方法で解決できないことや、それによって他人に失望したり、困っているときに裏切られたり追い詰められ、選択肢を広げた時にそういう方向に向かった可能性があるのです。
否定派が肯定派に突っかかるような物言いをする根拠は、霊能を謳う詐欺師への恨みや嫌悪感が根拠のようです。だからこそ、肯定派を野放しにできない。肯定派が詐欺師を尊重するような物言いをしたり、それによって無知な層が被害に遭うことを看過できないのです。
一方の精神障害という人格否定をする手合いは、基本的に挑発して楽しんでいるだけだと思います。客観的証拠がないところを突いて、論破したいだけです。
では、肯定派は詐欺師をどう思っているか?悪人であるし、肯定派のイメージを傷つけられて迷惑を被っている、と考えます。
肯定派の中でもそれなりに勘が鋭かったり、理論を研究している人たちは、そういうのが本物か偽物かを区別できています。
例えば、詐欺師の物言いのパターンが変に固定されていたり、霊能者ならもっと違うロジックで答えられるところを煙に巻いたり、経験的に道理に合っている方法論や解決の手法を知っている分、訳のわからない方法やいかにも胡散臭いものを扱っていることもわかります。
全ては経験や知識の賜物です。
素人にそういうのを見抜けと言われても無理なものです。切迫していれば尚更正しい判断ができません。
なのに、肯定派でもわかっている人は「詐欺師ぐらい普通にわかるだろ」と言い出します。肯定派の内部で詐欺師の脅威の認識が割れているのに、本人たちは問題として捉えていない。これが最大の問題です。
この世界を肯定させ、信用を高めている存在が、専ら悪霊などによる被害や損害であることは、実に皮肉な事です。
日本の心霊肯定派は、詐欺見抜けるエゴイスト・詐欺見抜けない人・詐欺師で構成され、法の下で保障されてはいるものの、目に見えない良心に頼っている世界です。
この世界に入る時は、最初は誰もが素人です。参入障壁が小さい割に、魑魅魍魎の巣窟であるこの世界は、肯定派には魅力的でありながら非常に危険な異界なのです。なので、誰にでもお勧めされるわけではありません。
これからの未来に、この世界の問題を小さくし、危険性を限りなくゼロに近付ける偉人が現れることが期待されます。
【まとめ】
1. 主観と客観の違い
霊的な体験や霊能に関する話は、基本的に主観的なものであり、個人の内面的な経験に基づいています。このため、客観的証拠を求めるのは難しいですし、その必要性も肯定派には感じられない場合が多いです。一方、否定派は科学的なアプローチを重視し、客観的な証拠を求めます。科学は再現性と検証可能性に基づくため、主観的な証言だけでは不十分とされるのです。
2. 詐欺師への警戒
否定派が強い意見を持つ理由の一つは、霊能を利用した詐欺行為に対する警戒心です。霊能やスピリチュアルをうたう詐欺師によって、多くの人々が経済的・精神的な被害を受けていることは事実です。このため、否定派は霊的な事柄全般に対して懐疑的な態度を取り、詐欺から人々を守るために強い反発を示すことがあります。
3. 肯定派の視点
肯定派の中にも霊能を本物と信じ、その世界に救いや解決策を見出す人々がいます。彼らの多くは、自分の経験や直感を信じ、霊的な方法で問題を解決しようとします。詐欺師に対しても否定的な見解を持ち、偽物と本物を区別するための知識や経験を持っていることが多いです。しかし、全ての肯定派が同じレベルの洞察力や知識を持っているわけではないため、詐欺に引っかかる人もいます。
4. 内部での認識の違い
肯定派の内部でも、本物と偽物の区別がついている人とついていない人が存在します。これは経験や知識の差によるものであり、全ての肯定派が一様に詐欺を見抜けるわけではありません。この内部の認識の違いが、さらなる混乱を招く原因となっています。
🔲補足
肯定派でもわかっている人は、例えばダメなサイト、ダメな本や動画を見たり、目次を読む程度でも「あ、コレダメだ」とわかります。速攻で頭が痛くなるなど、ダメな波動とか邪気に敏感だからです。