動画のコメント欄を見るに、近隣の都市在住者から見たとき、前橋のイメージとして「上品」「おしゃれ」というものがちらほらと。住んでいる人間からしたらそうなのかな?と思いますが。

動画でも、高崎は商業と交通の要衝、前橋は行政と文化の街という特色の違いを論じています。

 

前橋をおしゃれにしている根拠はどこなのか?と思ってリーディングした結果、挙がったのは臨江閣。

もとは迎賓館として、初代県令・楫取素彦の提言によって建てられました。

1884年9月竣工。

1893年10月20日から21日には明治天皇が宿泊しています。

本館・別館・茶室は国の重要文化財です。

 

この場所に三台星が降りています。

三台星とは東洋の星座で北天の6つの星からなり、「皇帝の乗り物」である、とされます。

高貴と優雅の性質である一方、家庭を顧みず、経済観念に乏しい、ともされます。

浄化と平和をもたらす、ともいいます。また、貴人は位が上がるようです。

 

この三台星の性質を受けたのが車持氏。

豊城入彦命の末裔で、雄略天皇の頃、乗輿(帝の乗り物)を作り献上したことにより、車持の姓を賜ったといいます。

もとの拠点は国府より西側、榛名山麓(旧群馬県群馬郡群馬町)ですが、当時は利根川の流れが違っていて臨江閣が建つ場所とは陸続きだったのです。

車持の姓を賜ったのは、三台星の「皇帝の乗り物」のパワーを受け続けたからである、とのこと。

この車持氏の拠点を指して「くるま」が転じて「群馬」になった、ともいわれます。

この車持氏の子孫が、やがて藤原氏の祖・不比等を生むまでになっていくのです。

 

群馬県は人口一人当たり乗用車台数1位(2021年)。三台星の下にある、くるま県故ですかね。

 

もう一人強い影響を受けた人がおり、萩原朔太郎です。

近代詩の詩作の地平を開いた人物とされ、彼は詩人としても足跡を残しましたが、マンドリン奏者でもあるなど、芸術には造詣が深かったようです。三台星の高貴と優雅の雰囲気を身に留めていたのでしょう。

ただし、悪いところも影響を受けており、彼は医者である父の脛かじってみたり、離婚一回ののち内縁関係の人ができる、という人生を歩んでいます。その結婚式をした場所も臨江閣です。

出身は現在の千代田町1丁目、臨江閣は目と鼻の先です。

 

また、前橋25人衆が公金を拠出し続けたのも、三台星の影響です。経済観念の欠如が、貪りにならなかった意味で良い方向に出たのです。特に25人衆の一人であり臨江閣の土地を提供した下村善太郎は初代市長になりました。一年後に死亡しましたが、本来はあり得ない昇進だったようです。

即ち、これが「貴人は位が上がる」ということです。

 

実際、臨江閣近辺は雰囲気が違いますね。影響範囲は県庁・市役所はもろに影響下にありますが、利根川沿いに南北に影響範囲が広がっており、北は川原町あたり、南は六供町あたりまでは確実ですが、南北に広がっていっているように思います。行政の善行によって影響が拡大しているのです。

ただ、西は利根川で阻まれ、東側は赤城神社の裁量するところが大きく、東西には版図は伸長していないように思います。

 

前橋市は「おしゃれ、上品」というよりは「高貴にして優雅」というのが正確な表現といえます。

群馬県全体に、この影響を拡大したいところです。

 

臨江閣の南にあるひょうたん池に祠があり、実質的な礼拝所になっているので、ここで「高貴と優雅」を受け入れられます。

ひょうたん池の竜巻桜。

平和の祈願は、コチラでするとよいでしょう。

ちなみに、引間の妙見とは対になっていて、「戦争と平和」のバランスを取っているのです。

 

というわけで、『群馬県民は三台星を背負っている』と思ってください。

 

藤井風 まつり MV

屋内撮影は臨江閣、屋外撮影は群馬県甘楽町の楽山園(国指定名勝)。