前日光・古峯神社。天狗の宮として有名である。

日光開山・勝道上人(735~817)によって創建。修験の行場であり、もともと仏閣であった。

明治に入って神仏分離令によって神社になり、この時に祭神を日本武尊としましたが、それ以前に日本武尊を祀っていた確かな史料は見当たりません。突然出現した感じです。

もともと仏閣であったため、本殿・拝殿はなく、本堂に祀られています。ただし、堂内での撮影は禁止。

堂内の巨大天狗面。公式Xから。

堂内には日本武尊の事績を表す巨大な絵画が並んでいます。

「天狗、どんだけ日本武尊が好きなんだよ」というのが、素直な感想です。

天狗で知られる武尊山系も日本武尊を祀っているし、何故、天狗は日本武尊を好むのであろうか?

 

以下、過去の記事からの抜粋になります。

【天狗の始まり】
奈良時代に聖徳太子が命じて書した「先代旧事本紀大成経」には
天狗とは、須佐之男命の 猛気が満ち溢れ出た吐しゃ物・天逆毎(アマノザコ)より始まる。女神であり、姿は人間に近いものの、顔は獣のようで、高い鼻、長い耳と牙を持つ。物事が意のままにならないと荒れ狂う癇癪持ちで、力のある神をも千里の彼方へと投げ飛ばし、鋭い武器でもその牙で噛み壊す強靭な租借力を持つ。また、天邪鬼のように物事をあべこべにしないと気の済まない衝動を持ち、前のことを後ろ、左のことを右などと言う支離滅裂で不整合なことを言い放っていた。
自らと同様に、子供の天魔雄(アマノサク)を吐き出すが、後に天魔雄は九天の王となり、荒ぶる神や逆らう神は皆、この魔神に属した。彼らが人々の心に取り憑くことによって、賢い者も愚かな者も皆、心を乱されてしまう「錯乱の神」である。
後々の書物に天魔雄命が日本の天狗の祖で、後世天狗となった者たちはみな眷属であると書かれている

 

この天魔雄(アマノサク)の生まれ変わりが、日本武尊だそうです。

ホントなのか?と思われるかもしれませんが、世界各国の王族に大物の魔の類が生まれ変わることは、あります。有力者の血族として、狙って生まれてくるのです。

そして、尊の最初の事績は双子の兄の殺害です。

 

『古事記』によれば、景行天皇が大根王(三野国造の祖)の娘の兄比売・弟比売姉妹が美人であると聞き、大碓命(日本武尊の双子の兄)がその視察に遣わされた。

しかし大碓命は姉妹を気に入って密通し、天皇には偽って別の女性を献じた。

以降、大碓命が朝夕の食膳に出てこないので、天皇が小碓命(=日本武尊)に

「ねぎし教えさとせ(ねんごろに教えよ)」

と命じた。

しかし5日経っても大碓命が出てこなかったので、小碓命にどう教えたのか問うと、

大碓命が明け方に厠に入った時、捕まえてつかみつぶし、手足をもぎとってムシロに包んで投げ捨てた、と言った(「ねぎし」の誤解による)。

 

景行天皇的には大根王を従わせる意味で兄比売・弟比売姉妹が手元にいればよかった(人質)だけで、俺の女という感じではなかったので、息子である大碓命に思うところはなかった。むしろ、それがきっかけで親子関係がおかしくなり、政争の具になる事の方が問題が大きい。天皇自ら出向くと相手が構えるかもしれないので、代官として弟を向かわせたつもりであった。

その弟がやらかしてくれた。後継者問題として新たに小碓命の扱いに困ることになり、「傍に置いておくわけにもいくまい」ということで、彼に熊襲征伐を命じた、ともいわれます。

そして熊襲を騙し討ちした後も外征を命じ続け、出雲でも騙し討ちをしたり、多くの山の開山になったり、最後は伊吹山の神の祟りで死亡、尊は皇位を継承しなかったのです。

 

今で言えば、サイコパスとかそういうものだったのかもしれません(不敬)。

とはいえ、尊が行ったことは結果的に朝廷の版図を拡大し、騙し討ちの結果、他部族の殲滅のようなこともなく、流血は最小限で済んでいます。

そして、尊の息子は仲哀天皇です。現在の皇室は日本武尊の子孫でもあり、天魔雄すら、皇室は受容しているのです。

 

つまりは、日本武尊を祀っている神社は、天狗の真祖たる九天の王・天魔雄を祀る宮でもあるのです。

なので、天狗(=魔王)がいるところには、安心して尊を祀るとよい。

ちなみに、日本武尊は十二山神にも好かれる質です。