最近、まるで呪文を唱えるかのように
生産的であること
生産的であること
生産的であること
と言い聞かせている気がする。
生産的であることは自分自身のなかで
生きている実感、と近いのかもしれない。
でも、ふと、思った。
生産的であるとはどういうことか。
生産的でないということはどういうことか。
社会に貢献するということは確かに生産的と呼べるであろうし
だらだらして何もしないということは生産的でないといえるだろう。
しかし趣味の時間はどうなのだろうか。
社会には貢献しない趣味もあるけれど、
それでも生きている実感が湧くものはたくさんある。
「生産的」という言葉の定義すら人に依ると言ってしまえば
それまでなのだろうけども
私の場合、生産的であるということは
ご飯を作り、食べ、美味しいと喜ぶことであり
ジャズを聴き、紅茶を片手に、読書をすることであり
着替えて、身支度を済ませ、外に出かけることであり
お気に入りの椅子に座り、ラフマニノフを聴きつつ、勉強することであり。
まだまだあるけど
こうやって書いてて思うのは
生産的であると思う行為が昔と変わったな、ということ。
こうやって少しずつ、少しずつ、
日常が変化していってるのに
今の私は完全に取り残されている気がする。
やっぱり外に出ることって必要なのかもしれない。
