これまで述べてきた「風土性と歴史性」において、主に日本の文化について取り上げてきた。そこで今回は日本の文化の意味についてみてみよう。
1.日本文化と西洋文化
文化の対象は、芸術、制度、科学、宗教、料理、思考など広範にわたる。これらの文化は、それぞれの国や地域の有する地理、歴史、風土、民族性などの影響を受けながら、世代を通して優れた文化を吸収しながら発展し、また新たな文化を築いてきた。このため文化は国や地域によって異なる。
また芸術、文学、思想などの文化と、政治、制度、学問、技術などの文化とでは、その意味するところは大きく異なる。
前者においては、近代化社会を求めたものではなく、変化しながら継続するものである。技術的進歩があったとしてもそれは付帯的なものであり、芸術文化などの本質ではない。
たとえば文学においては、源氏物語を代表とする平仮名文学から時代の変遷に影響されながら今日では近代文学、現代文学といわれるようになったが、それは進歩ではなく、変化しながら継続したものである。加えていうならば、文化は伝統的であり、そうでないものは文化とはいわない。和歌や絵画も同様である。
芸術文化を発展させてきたのは、日本人の特有な自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒であり、それが他の国には例をみない優雅な作品を生んだ。中国から伝わった茶や花、文字なども日本独自の茶道、華道、書道といったように何でも日本的芸術文化にしてしまう。
こうした例は日常生活の広い範囲で浸透している。日本人には自然への繊細な美的感覚において、特有な感性を持っている。
後者の政治、制度、技術、教育などの文化は、生産性や生活水準の高度化が期待できる。近代化文化というのはこの分野である。
これらの文化は、かつては中国の文化が創造的契機になったが、明治以降近代化をめざし西洋への接近に方向を転換した。西洋からの知識を得ながら、素早く日本人の生活に浸透させた。
しかし日本はすべてに西洋を目指したのではない。日本の目指した近代化は、自発的な動機が大きかった。日本人は西洋の文化をそのまま受け入れたが、工夫しながら生活に定着させ、日本独自の近代文化を作りあげた。その例をみてみよう。
わが国の交通手段の多くが欧米から導入されたが、その中でわが国において導入されたのは、わが国の地理や風土などに対応できるわずか一部であった。その代り日本の貨物輸送は、カーフェリー輸送、協同一貫輸送、ジャスト・イン・タイム方式(カンバン方式)などの高度なシステムを構築した。
港湾においては、日本の主要港湾である神戸港の外見は、フランスのマルセイユやシンガポールと異なる。むしろシンガポールはマルセイユに似ている。その理由はシンガポールの西洋式の街は、マレー人が自国の必要から自分たちがつくったものではない。植民地制度の影響が大きく、シンガポールの西洋式建物は、ほとんどがマルセイユの規模でできている。
これに対して神戸の港の施設や西洋式建物などは、すべて自分たちの必要性を満たすために自分たちでつくったものである。当然すべての施設の規模は日本人に合わせている。
アジアにおいて、欧米文化がそのような形で存在しているのは、おそらく日本以外にはないと思われる。これは日本が欧米の植民地にならずに独立をたもったことも大きな要因ともなっている。
これらの例でみるように、日本の近代化の過程は、外国文化を参考にしたものであっても、固有の伝統文化を下敷きにして、日本独自の文化をつくりあげたのである。このため今日では純日本風といわれるものでも、大半が西洋の文化が深くかかわっている。
西洋の文化の特色は、それぞれの国の学問、芸術から服装や生活様式の隅々まで伝統的なものによって培われており、つまり長い歴史を負って形成されてきたのである。
西洋においても自国以外の外国の文化に大いに興味を持っている。しかしその多くの場合、自国の文化に不可欠な原理を求めるというのではなく、自国の本来の原理の展開を豊富にするということに過ぎないのである。
つまり日本の文化は多様性を追求したものであり、西洋の文化は純粋性を追求したものであるといえる。両者共通しているのは、すべての文化は伝統的であり、そうでないものは存在しなかったということである。それは文化とは、大衆のなかで次第に醸成されていくものであるからである。
2.文化の背景
日本と西洋の文化の違いには、それぞれの歴史や思想などに相違があるからである。日本文化と西洋文化が異なる大きな背景には、宗教の存在も無視できない。
日本の場合は、古来の神道はまったく超越的構造がなかた。むしろ多神教といえる。その後日本に輸入された儒教、仏教も超越的構造に乏しかった。こうした影響もあって、これらの宗教は17世紀以前は西洋と類似した役割を演じていたが、次第に世俗化し周辺的な地位に追いやられた。
西洋においては、民主主義は個人主義を前提に成立したものである。また個人主義の歴史的背景には、人格的で同時に超越的な一神教がある。つまり西洋の民主主義は、宗教との関係が切り離せないのである。これらに該当する宗教は、キリスト教、イスラーム教、ユダヤ教などである。
なお超越的構造を有するキリスト教は、日本には16世紀後約10年間の短期間に急速に広がったが、秀吉さらには初期の徳川幕府は、キリスト教を政治的統合に対する脅威と捉え、禁教を徹底し1638年(島原の乱)までにはほとんど消滅した。
1873年政府はキリスト教禁令を撤廃し、信仰の完全の自由化を認めた。しかしキリスト教の拡大は前回ほどではなかった。もしキリスト教の影響が広い範囲にわたっていたら、その後の日本の文化の歴史は大きくかわっていたかもしれない。
3.宗教
日本の古来の宗教は神道である。神道の起源は縄文時代まで遡り、古墳時代には原型ができていたと伝えられている。古代神道の思想は、人びとは自然と調和して生きようとし、神々も人間と連続する存在と考えた。この多種多様な神の総称を「八百万の神」という。
いわゆる自然崇拝の多神教である。そのため開祖や教祖、経典を持たない。これは神を唯一絶対・超越的とし、人間との連続性を否定するユダヤ教、キリスト教、イスラーム教とは大きく異なる。
神道はその後の仏教の躍進の陰に隠れてしまったが、いまなお日本人の生活の一環を形づくり、民話や説話などは、神道の思想が起因となっているものが多い。さらには日本人の自然愛好感や情緒は、神道の考え方からきているものが多い。
なお神道と次に述べる仏教は、お互いに共存する道を歩んでいった(神仏習合)。神社に神宮寺を建てたり、寺院の境内に守護神を鎮守としてたてまつることも普通に行われた。
そもそも日本人の多くは、外来の宗教の一つの神に絶対的に帰依しなければならないという考え方は持っていない。近代以前の日本人は、仏教徒であると同時に神道信者であった。
ところが明治になると、キリスト教という強い原理を持つヨーロッパ諸国と対抗するために神道と仏教を分離させて、神道を国家神道として国の管理下に組み込んだ(神仏分離)。
外来宗教は、5世紀頃中国から儒教、インドから朝鮮半島を経由して仏教、16世紀頃スペインからキリスト教が伝来した。
儒教の思想は道理にかなった自然の秩序であり、人間はその調和した一環とみなされ、きびしい倫理的な法に基づく社会秩序尊ばれた。
また儒教には聖職者は存在せず宗教的な儀礼も少なく、なによりも「神」という概念は存在せず、礼拝もない。あるものは支配者に対する「忠」、親に対する「孝」であり、それをしかるべき人倫の道、守るべき道徳規範が強調された。
西洋での神の役割をはたしてきたのは、感覚的な自然である。つまり思想的な文化ではなく、感覚的な文化が洗練された。この面では神道と類似している。
さらに儒教の一派から、儒学の哲学を体系化した朱子学が誕生した。日本には鎌倉時代に伝来し、江戸時代には幕府公認の教学となった。しかし幕府の終焉とともに儒教、朱子学の勢力は著しく低下した。
現在の日本語に残る儒家の言葉として、「故を温ねて新しきを知る(温故知新)」、「五十歩百歩」、「出藍の誉れ」などがある。
仏教は生の無限の流転と、前世が現世を、現世が来世を決めるという考え方にもとづき、生は苦であり、苦は人間の欲望に由来するものとされ、これらは釈迦の教えに従えば克服できると説いた。そのために釈尊のみならず、諸菩薩を筆頭とする諸仏をも礼拝することを説いた。
死後の生を説き、個人の救済を問題にすることと、礼拝を説いた面でキリスト教と類似している。またとくに9世紀から16世紀にかけて、仏教の浸透力は政治や建築、彫刻、絵画などの各分野に及んだ。芸術文化の面でキリスト教がヨーロッパではたしたと同様な役割を演じた。近代以前の日本人は、仏教徒であると同時に神道信者であった。
西洋では紀元前6世紀頃古代パレスチナでユダヤ教が成立し、その後4世紀頃ユダヤ教を母体として、キリスト教が誕生した。6世紀頃にはその両者の影響を受けて、イスラーム教が広まった。この3つ宗教の聖地がエルサレムにある。またヨーロッパの文学、美術、音楽などの芸術文化の源泉となった。
これらの宗教は、それぞれの唯一の神を信仰する、いわば兄弟宗教といえるが、超越的一神教の超越性の強調において、日本で普及している神道、儒教、仏教よりもはるかに妥協の余地のない宗教である。
さらに1948年にパレスチナの地にイスラエルが建国されたことが契機に、パレスチナ人(アラブ系イスラーム教徒)とイスラエル人(ユダヤ教徒など)の衝突が起こり、それが今日も続いている。またユダヤ教徒はキリスト教徒の迫害を受けた歴史がある。これらの3宗教は歴史的に複雑な対立関係にある。
また同じ宗教であっても、地域や宗派、権力者ごとの争いが絶えない。今日の国際紛争やテロ行為のほとんどがその背後に宗教が絡んでいる。
3.日本文化の背景
歴史的に振り返ると、西洋での民主主義は個人主義を前提に成立したものである。また個人主義の歴史的な背景に存在するのは、人格的でかつ超越的な一神教である。人類が平等であるというのは、それぞれの神との関係であり、人間関係においてではない。まして宗教が異なる人間との関係では成り立たない。西洋とりわけアメリカにおいて人種差別がなくならないのはこうした背景がある。
日本の場合福沢諭吉が提唱した「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」でみるように平等の対象は人間である。同じ平等の言葉でも、その意味は異なる。当然神の概念も異なる。なお平等という概念が本当に実在するのか疑問が残るが、それについては別の機会に譲ることとする。
今日の個人主義は、多くの西洋人の意識のなかで、直接結びつくものではない。それでも宗教とまったく無関係に個人主義または民主主義を論じることはできない。
これに対し日本における宗教の大衆の意識は、明らかに西洋ほどの超越的一宗教とは異なり、周辺的存在であった。もともと日本古来の神道は多神教に近く、まったく超越的構造がなかった。
外来の儒教においても、意識の構造を変革するものでなく、しかるべき人倫の道、守るべき道徳規範を強化するためのものであった。
仏教は仏の前での人間の平等を説いたが、欧米の宗教ほどの超越性はなかった。さらに仏教は日本の大衆と接触しながら変化してきた。その過程で8世紀頃日本古来の神への信仰と外来の仏教との融合である「神仏習合」が進められた。日本は宗教に限らず、いろいろなものを鷹揚に受け入れていた。神仏習合はその典型的な例である。
4.日本文化の美点
西洋の宗教の多くは、超越的で精神、慣習などの基本となっているが、日本では宗教のほとんどが周辺的地位を占めるに過ぎない。また欧米での神の役割を担ってきたのは、思想的な文化ではなく、感覚的な「自然」であり、文化なのである。
西洋人にとって自然は、人類の幸福のために征服すべき対象である。しかし古来日本人はそのような考え方はしない。自然は聖なる対象であり、自然と調和し自然とともに生きてきたのである。
日本では超越的な神が存在しなかったように、すべての価値も自然を超越しなかった。自然への繊細な感受性を源泉とする美的感覚が、世界に類をみない芸術文化を作りだした。
各時代の芸術文化の概念の背景には、自然という豊富な美的感覚があった。自然に対する感受性は、わび、さび、雅、情緒といった日本人しか理解できない繊細な概念も生まれた。日本ほど多くの自然と季節の移り変わりと繊細な感受性を題材を文化にした国はない。
さらに日本人は、神社での子供のお宮参り、七五三のお祝い、ひな祭り、端午の節句など盛んに行われており、神社の結婚式もめずらしくない。お祭りには神社の境内に立ち並ぶ屋台、さらにはお神輿を楽しむ姿は、宗教とは無縁の行事となっている。
また仏式の葬儀やその他の通過儀礼など日常生活に宗教的行事が定着しているが、当の宗教を信じている人はきわめて少ない。
日本の伝統文化を西洋の影響を除いて、区分することは到底できるものではない。大衆はそのことをよく理解し、多様性をそのまま受け入れ結構楽しんでいる。そのようなすばらしい自然を敬う精神がある国で、加えて多様性を有する国においては、殉教も宗教戦争もおこりようがない。
日本の文化は多様性にとみ、西洋型の個人主義をつくらなかった一種の文化、決して断絶のない継続した伝統、日本にとってすばらしい文化の創造の希望がある。
また国家が泰平なときは、大衆の自由が膨張する。国家が不安なときは大衆の自由が縮小する。大衆の自由が膨張しなければ、新しい文化は生まれない。