1.政治への期待

 いま国民は正しい政治を求めている。そのため政治は、より良い方策を示さなければならない。しかし政治を行うのが人間である以上、政治もまた人間の能力の不完全を避けられない。最良の判断が常にできるとは限らない。さらに政治は権力をともなう行為であり、しかも金融腐敗の一因となることから、適正な範囲から逸脱することもある。時には自ら定めた法令さえ守らない。

 これまで国政に民意が反映されていないと感じている人は多い。不信の最大の理由は、政治の腐敗であり、それを防止する改革の遅れである。また今回の政治家の献金パーティ騒動のように政治家が故意に真実を語らないようでは、政治が本来の役割を果たしているとはいえない。むしろその機能が急速に低下することさえ危惧される。現在の政争がそれを顕著に現わしている。政治の国民への説明にあたっては、正確な事実を説明しなければならない。

 このことは政治と交通の関係においても同様である。交通においては、公害・混雑・事故が深刻である。政治と交通は、それぞれどのような性質をもち、どの程度われわれに理想を提供できるものであろうか。

 国民生活にとり政治は、不可欠の機能であり前提である。これまで国民生活の発展を拡大したのは、政治の大きな功績であった。しかし政治の機能が適切に運営されなければ、納税者の重荷になり、程度によっては生活の破壊者になる。

 交通に対しても政治の姿勢が、常に求められるのであり、最近の情勢からとくにそう感じられる。交通と政治はどのように関連すべきか、またその実態が理想に近づいているのか。

 政治は交通の進歩に貢献したが、輸送力不足、公害、交通事故などの対策が未解決のままであり、現実は国民が期待したようには進んでいない。それでも政治は、より良い方策を示さなければならない。

2.経済成長と交通の関係

 1950年代後半から工業立国、貿易立国の方針が示され、やがて臨海型の重工業の時代がきた。この経過のなかで経済成長と貨物の双方における需要が急激に増大した。それに対応するため道路や港湾などの公共投資も積極的に進められた。60年代から70年代にかけて交通需要、特に貨物輸送量の伸びが大きく、GDPと貨物輸送量の伸びが相関していた。そして68年のGDPはアメリカに次ぐ第2位に躍進した。

 その一方で60年代後半から地価が高騰し、労働力も限界に達した。さらに交通事故死が増加し、70年には道路交通事故死が約16千人と史上最悪を記録した。また大気汚染が進み70年に東京で初めて光化学スモッグが発生した。政治は大気、交通の公害問題を国家的課題として取り上げた。

 70年に入りこれまでの重工業中心の産業構造(素材型産業)から加工型産業に移行し、「重厚長大」でなく「軽薄短小」の製品の比重が高まり、GDPが増大しても、貨物輸送トンキロはあまり増加しなくなった。

 同時に人手を要するサービスも普及した。その好例がカンバン方式(トヨタ生産方式)と宅配便である。カンバン方式は生産工程で在庫を持たず、生産工程に合わせて必要な時に必要な部品を仕入れる、いわゆる「ジャスト・イン・タイム方式」であり、まもなく多くの製造現場にも浸透した。これにより生産性の向上が進みわが国の経済成長に大きく貢献し、政治もこうした動きを歓迎した。現在もこうした方式が継続している。

 その一方でトラック事業者の納入車両や納入時間に合わせるための待機する車両が増加するなど、環境問題と労働力不足が顕在化した。加えて80年代における宅配便の急成長がそれに拍車を掛けた。80年代後半から90年代にかけて、土地価格高騰と労働力不足が成長の阻害とみられるようになった。さらにエネルギー不足が加わった。

 80年後半から90年代にかけては、まだ省力化の可能性が残されていたが、90年代はその努力をしたうえ上で、なお労働力不足となったのである。労働力不足は生産部門や交通部門でも深刻になり、また交通事故と交通公害は80年代から再び悪化した。

 2000年に入りまもなく、景気が悪化すると、企業はコスト削減のため、人件費の安い海外に工場を移転したり、国内ではリストラや非正規労働者を多用する雇用政策となり、国民にとっては「実感なき経済成長」となった。

 人件費削減による賃金デフレと雇用の劣化は、わが国のデフレスパイラルに拍車を掛けたが、政治はこうした問題に対する有効な手法をみつけることができなかった。そしてGDPは2,010年には中国に抜かれ、まもなくドイツに抜かれ、世界4位になると予想されている。

 現在労働者不足による企業倒産が増加しており、さらに2024年問題を控えている。

3.規制のあり方

 現在交通関係で「自動車のエンジン性能不正問題」と「2024年問題」が注目されている。自動車産業はこれまでわが国の国力の向上に大きく貢献しており、今後もその傾向は変わらない。とはいえ安全にかかわる問題だけに、不正については、決して許されるものではない。ましてグローバルに展開している産業界においてはなおさらそうである。

 一方、間近に迫った2024年問題については、政府、民間ともその対策に取り組んでいる。民間は共同輸送など創意工夫により、合理化を進めている。政府は適正な物流が推進されるように荷主企業、物流事業者に対する法整備を行っている。

 その一環で警察庁は、高速道路を走行するトラックの最高速度(時速80キロ)を時速90キロに引き上げる方針を決めた。その理由として、業界側から短時間でより長距離の輸送が可能となるよう最高速度の引き上げを求めていたとされている。警察庁は対象となる大型トラックと中型トラックの一部(総重量8トン以上)に速度抑制装置の装着義務化などで重大事故が減少していることを上げている。

 しかしながら重大事故が減少しているからといって、ひとたび高速道路上で大型車両が事故を起こした場合、その影響はきわめて大きくなることは容易に想像できる。事故は必ず起きる。こうした状況が予想されるなか、果たして最高速度の引き上げが行われてよいのか、きわめて疑問である。人命を犠牲にするような政策は、どのような分野でも決して許されてはならない。

 規制緩和の時代といっても、すべてがその対象ではなく、安全や環境に係る規制は、むしろ強化される性質のものである。

4.需要対応型から供給対応型の転換

 企業は通常生産量を高めることにより、利潤を拡大する。しかし生産力向上を求め続ければ、労働力が限界に達することは自明の理であり、また生産費用が高騰して効果に対して不利になる。したがって生産量を生産能力に適合させる方向に発想を転換すべきであった。

 上記の両者の問題の発生の根っこは同じであり、これまでの国の産業政策と決して無縁ではない。このことは政治にも大きな責任があるはずである。すなわち需要を生産の供給能力に適合させる、いわゆる「供給対応型」に転換しなければならないのであり、需要を発生させる分野にも政治の関与が必要となる

 たとえば社会が週休2日制のとき、運送事業者もそうしなければならない。その事業者と荷主の出荷は休む体制があってもよい。またメルカリや宅配便の翌日配達の労働力が不足であれば翌々配達でもよい。

 今後の対策は需要者側の協力のもとに推進される段階に入った。政治への期待は大きい。