今年に入って、震災以外にも政界をめぐる暗い話題が蔓延している。しかしここにきて明るいニュースが飛び込んできた。日本政策金融公庫の主催する「高校ビジネスプラン・グランプリ」(1月13日)にさいたま市の私立栄東高等学校の2年生中藤凛音さんが準グランプリに輝いた。

 産業廃棄物として焼却処分されるウニの殻から生石灰を精製して、環境にやさしい塗り壁などで使用する「しっくい」を製造し、販売するというものである。実現すれば海洋環境の維持などに貢献するとともに、初年度から利益を確保できる可能性もアピールしている。

 これまでに廃棄処理に深刻に悩んでいたホタテやカキなどの貝殻を素材として、肥料や土地改良、歯磨き、チョークなどに再生し、事業化に成功している。中藤凛音さんの発想もこうした事例がヒントになったといわれている。わずかなきっかけが、発想の転換をもたらし、新しい発見に導いたのである。

 中藤凛音さんは、埼玉県出身で約500件の企業育成に携わった渋沢栄一のような実業家を目指すという高い志を掲げている(読売新聞、1月14日)。埼玉在住の筆者として、同県からこのような志を持つ若い方がいることを誇りに思う。

 話題は変わるが、地球温暖化対策としてCO2削減が重要な課題となっている。自動車においては、その対策として水素、廃油、メタノールなどの利用の開発が進められている。彼女の廃棄物から再利用するという発想を借りれば、大量に排出されるCO2を自動車などの燃料に再生できないかという考えも出てくる。今日の化学技術からすれば、可能であるかもしれない。科学についてまったく無知な愚か者の意見である。

 わが国でとくに再生利用が注目されるようになったのは、2,000年に「循環型社会形成推進基本法」が制定されたことによる。同法は「大量生産・大量消費・大量廃棄」型の経済社会から脱却し、環境に負荷が少ない「循環型社会」を形成することを目的にしている。

 ところで孫が高校時代に使用していた英語の教科書をみていたら、「Edo:A Sustainable Society」と題する章があった。内容は江戸時代には、既に循環型社会を実践していたというものである。その概要を紹介しよう。

 当時の衣服は非常に高価であったため、庶民は中古販売者などから古着を購入し、使い古した衣服は、雑巾などにして利用した。最後は燃やして灰にして、肥料、染料、洗剤などにして利用したり、灰を売る事業者に販売した。販売業者はそれを肥料として農家に販売した。

 紙については、人々が何度も利用した紙を古紙を購入する事業者に販売し、それらの事業者は再生紙メーカーに販売した。また町に落ちている紙屑を拾い集め、再生メーカーに販売する人も現れた。一方印刷物は次世代に引き継げられた。寺子屋で使用された一冊の算数の教本が109年もの長い間利用されたという記録がある。これらはまさにリサイクルの典型である。

 同教科書ではそれ以外にも、瀬戸物の修理、人糞などの例をあげている。すなわち、江戸時代の人びとは、衣服や紙あるいは人糞など人間の出したゴミでさえ、リサイクルしていた。リサイクリングを基本にした社会が形成されるのに伴って、環境が改善され人間の寿命も伸びたといわれる。

 今日「3Rs:Reduce、Reuse、Recycle」という言葉が浸透している。しかし江戸時代には、当然このような言葉は存在しなかったが、「3Rs」が通常の社会生活の一部になっていた。この結果多くの仕事を作り出し、江戸時代にはほとんど失業者がいなかった。

 われわれは江戸時代のような生活には戻れない。しかしこうした「循環型社会」の考え方は、地球環境を守るために決して忘れてはならない(LANDWARK English Communication②(株)新興出版社啓林館、129p~137p)。