音大卒は武器になる?
読了。
堂々と「音大生は社会に役立つから就活すべし」と宣言してノウハウを説明しているのは潔いと思う。音大生というと本人も周囲も「演奏家を目指す事が正統で、就活は落ちこぼれ救済」という印象を持ちやすいから。ツッコミどころが無い訳ではないが書評しても仕方ないので自粛(^_-)。音大教員の端くれとしては、この「堂々と宣言」というところに意を強くする。
・・・・・・・
問題ダナ、と思ったのはここ。Chapter1 「音大卒の力」の2項「音大生の夢と現実」にある以下の記述。
「・・・もちろん、音楽家への道には「才能」という大きな壁があるわけですが、この壁は、チャレンジしてみない限り決して姿を現すことはありません。音楽大学に入って、少なくとも1~3年生の間は全力で音楽に取り組み、この壁にチャレンジしてみましょう。ぜひ音楽で生計を立てることを夢見て、それを実現させる目途を付けていただきたいと思います。」
で、3年の終わりにチェックしてみて生計立てられそうなレベルならば音楽の世界で頑張るし、そうでなく「才能の壁」が立ちふさがっていると感じた場合は本書の出番・・・と続く。
・・・・・・・
問題というのは、記述が問題なのではなくて、
「ホントに音大は3年の終わりまで全力で音楽に取り組む機関として機能しているか?」
という事。
著者は金融から音大就職課に転職して、音大生が一般大学生よりよく勉強すると称賛している。外からきてさぞ新鮮だったのだろう。でも、正直にボクの印象を言えば、少なくとも私立音大生の半数以上は、「3年まで全力で音楽に取り組み」、「3年の終わりで才能の壁を感じた」とはとても言えないのではないか。一部の真剣な学生を除けば、本人も師匠も、3年間とて「どうせ無理・・・」と思って過ごしてはいないか?そして、そうやって過ごしたくせに、「才能の壁」を持ち出してはいないか?
・・・・・・・・・
音楽家になれるか否かは、勿論まず技能のレベルが前提。それが不足していたらスタートラインの前で門前払いなのは当然だ。でも技能の優れた音楽家予備軍は、これまた山ほどいて、その競争から頭角現すことの方が実は、プロのスタートラインなのだと思う。では、何で頭角現すのか。
技能でもできる。前提をクリアする程度ではなく、腰抜かすほどうまけりゃ技能を自分固有のウリにできる。でもその確率は高くないし、実は音楽家の扉は技能だけではない。
なのに音大の現場は器楽声楽を問わず師弟ともに技能偏重、とボクには映る。もっとも、この技能の中には「もっと音楽的に歌うには・・」というような「音楽性の話」も含まれる。それは旋律をどう扱うか、という「技能」の問題だと思うから。で、そこまで含めてしまうと、レッスンのほとんどは「技能」の話になってしまっているのが現実ではないか?
つまり、技能しか追求していないのに「全力で取り組み・・」と誤解する師弟は少なくないと感じる。
・・・・・・・・・・・
音大は、専攻のレッスン以外に相当数の必修・選択単位をとらないと卒業できない。そこには演奏学科の学生でも、語学、ソルフェージュ、和声、音楽史、楽器学、楽式論、副科実技(ピアノ科学生の声楽、弦管打楽器の声楽とピアノ、声楽学生のピアノ等)、それに指揮法やら楽曲研究などもあろう。音大のカリキュラムは結構充実しているのである。
実は、専攻実技で同格のプロ予備軍のなかから上記の「頭角現す」ポイントは、こちらの出来も左右する、とボクは思う。すべて演奏のノウハウに資する教養である、というよりも、これらを自分の演奏技能に落とし込む関連性を指摘することは、レッスンの大きな使命のひとつである。結局、演奏をどう工夫するか、というヒラメキを普段の練習やレッスンで期待するならば、これらの知識から引っ張ってくることが、一番近道でバラエティに富む。ここから、演奏者の個性は熟成されるとボクは信じる。
でも、意外に実践されていない。
率直に言えば、これらの授業で不出来はかなり看過される。授業の出欠はうるさくても、これらの試験が不出来で単位落とす学生は少ない。不出来な学生への採点は、どの音大もおそらく、かなり甘い。
とりわけ、自分の専攻分野のレパートリー学習は、平均的にいえば極めて野放しに思える。知ってて当然、なはずの作品を、学生はしばしば知らない。知ってて当然な有名演奏家も、知らない。
「ひとと同じ技能の稽古するのは当然で、そのうえにひととは違う考察を深めないとプロになれないよー」とボクはよく言っている。その、ひととは違う考察のヒントが、つまり上記のような「音楽を勉強するための教養」なんだと思う。現今の音大の意識は、この点において必ずしも高くない。
「音大卒」は武器になる/ヤマハミュージックメディア

¥1,728
Amazon.co.jp
堂々と「音大生は社会に役立つから就活すべし」と宣言してノウハウを説明しているのは潔いと思う。音大生というと本人も周囲も「演奏家を目指す事が正統で、就活は落ちこぼれ救済」という印象を持ちやすいから。ツッコミどころが無い訳ではないが書評しても仕方ないので自粛(^_-)。音大教員の端くれとしては、この「堂々と宣言」というところに意を強くする。
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問題ダナ、と思ったのはここ。Chapter1 「音大卒の力」の2項「音大生の夢と現実」にある以下の記述。
「・・・もちろん、音楽家への道には「才能」という大きな壁があるわけですが、この壁は、チャレンジしてみない限り決して姿を現すことはありません。音楽大学に入って、少なくとも1~3年生の間は全力で音楽に取り組み、この壁にチャレンジしてみましょう。ぜひ音楽で生計を立てることを夢見て、それを実現させる目途を付けていただきたいと思います。」
で、3年の終わりにチェックしてみて生計立てられそうなレベルならば音楽の世界で頑張るし、そうでなく「才能の壁」が立ちふさがっていると感じた場合は本書の出番・・・と続く。
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問題というのは、記述が問題なのではなくて、
「ホントに音大は3年の終わりまで全力で音楽に取り組む機関として機能しているか?」
という事。
著者は金融から音大就職課に転職して、音大生が一般大学生よりよく勉強すると称賛している。外からきてさぞ新鮮だったのだろう。でも、正直にボクの印象を言えば、少なくとも私立音大生の半数以上は、「3年まで全力で音楽に取り組み」、「3年の終わりで才能の壁を感じた」とはとても言えないのではないか。一部の真剣な学生を除けば、本人も師匠も、3年間とて「どうせ無理・・・」と思って過ごしてはいないか?そして、そうやって過ごしたくせに、「才能の壁」を持ち出してはいないか?
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音楽家になれるか否かは、勿論まず技能のレベルが前提。それが不足していたらスタートラインの前で門前払いなのは当然だ。でも技能の優れた音楽家予備軍は、これまた山ほどいて、その競争から頭角現すことの方が実は、プロのスタートラインなのだと思う。では、何で頭角現すのか。
技能でもできる。前提をクリアする程度ではなく、腰抜かすほどうまけりゃ技能を自分固有のウリにできる。でもその確率は高くないし、実は音楽家の扉は技能だけではない。
なのに音大の現場は器楽声楽を問わず師弟ともに技能偏重、とボクには映る。もっとも、この技能の中には「もっと音楽的に歌うには・・」というような「音楽性の話」も含まれる。それは旋律をどう扱うか、という「技能」の問題だと思うから。で、そこまで含めてしまうと、レッスンのほとんどは「技能」の話になってしまっているのが現実ではないか?
つまり、技能しか追求していないのに「全力で取り組み・・」と誤解する師弟は少なくないと感じる。
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音大は、専攻のレッスン以外に相当数の必修・選択単位をとらないと卒業できない。そこには演奏学科の学生でも、語学、ソルフェージュ、和声、音楽史、楽器学、楽式論、副科実技(ピアノ科学生の声楽、弦管打楽器の声楽とピアノ、声楽学生のピアノ等)、それに指揮法やら楽曲研究などもあろう。音大のカリキュラムは結構充実しているのである。
実は、専攻実技で同格のプロ予備軍のなかから上記の「頭角現す」ポイントは、こちらの出来も左右する、とボクは思う。すべて演奏のノウハウに資する教養である、というよりも、これらを自分の演奏技能に落とし込む関連性を指摘することは、レッスンの大きな使命のひとつである。結局、演奏をどう工夫するか、というヒラメキを普段の練習やレッスンで期待するならば、これらの知識から引っ張ってくることが、一番近道でバラエティに富む。ここから、演奏者の個性は熟成されるとボクは信じる。
でも、意外に実践されていない。
率直に言えば、これらの授業で不出来はかなり看過される。授業の出欠はうるさくても、これらの試験が不出来で単位落とす学生は少ない。不出来な学生への採点は、どの音大もおそらく、かなり甘い。
とりわけ、自分の専攻分野のレパートリー学習は、平均的にいえば極めて野放しに思える。知ってて当然、なはずの作品を、学生はしばしば知らない。知ってて当然な有名演奏家も、知らない。
「ひとと同じ技能の稽古するのは当然で、そのうえにひととは違う考察を深めないとプロになれないよー」とボクはよく言っている。その、ひととは違う考察のヒントが、つまり上記のような「音楽を勉強するための教養」なんだと思う。現今の音大の意識は、この点において必ずしも高くない。
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