アメブロデビューして2カ月ぐらいたったかな。 ブログを書く時はフェイスブックやツイッターより長い文章を書きたくなった時と決めてるので、たまにしか更新しないが(←言い訳(笑))、僕のプロフを見て興味を持って訪れてくれた人達の中には、エックスネタを期待している人も少なくはないと思う。でも残念ながらそういう人達の期待を裏切って、これまで一度もブログ(GREEやMIXI含めて)にエックスネタを書いたことは無かった。理由の一つには、エックスネタばかり書いて過去の栄光(僕は大したことしてないけど)を切り売りしてるだけの人と見られるのが嫌だったし、もう一つには、別にエックスネタ書かなくても、その後の人生でいろいろ面白い事が沢山あったので、特にネタに困るようなことは無いからだ。
前置きが長くなったが、エックスネタを期待して訪れてくれた人への感謝を込めて、初めて回想録チックなものを少し書こうと思う。
僕は1981年春に千葉県立安房高等学校に入学した。地元で育つと実感がわかないが、温暖と言われる南房総の館山市にある、千葉県南部では有数の進学校で(←自分で言うな)、ジモティは「アワコー」と呼んでいる。僕は館山市まで電車で約30分のところにある館山より更に田舎な町で育ったのだが、プロフに書いた通り高校に入り、館山三中出身のYOSHIKIとTOSHIと同級生になった。
アワコーは昔から柔道や剣道が全国レベルで強くて、男子は必ず体育の授業としてどちらかを選択しなくてはならなかった。彼らとは結局3年間同じクラスにはなったことはなかったが、僕らは3人とも柔道を選択したので、入学時から顔は認識していた。実は正確に言うと、僕は6月頃になるまでYOSHIKIしか認識していなかった。TOSHIは柔道のクラスではあまりにも目立たなかった(ゴメンネ(笑))。YOSHIKIはと言うと、別に柔道が強くて目立ってたわけでは無くて(笑)、柔道の先生からニラまれていて目立っていたのだ。彼は今でこそ細マッチョで素晴らしい体型をしているが、入学当時はガリガリ君で、しかもちょっとツッパった髪型と目つきをしていたので、元オリンピック強化選手だったゴリラのような体型をした柔道の先生に、ほとんど毎回のようにマネキンのように投げ飛ばされていたのだ(笑)。この先生は硬派なのでバンドをやっている生徒を目の敵にしていて、僕もバンドを始めて髪がドライヤーで茶色くなってきたら、よくイチャモンをつけられた。一方、コアなファンならご存知の通り、TOSHIはマジメで好青年で、何よりバレー部で3年間短髪(2年の時は一時五分刈りぐらい?)だったので、柔道の先生も何も言わなかったのだ。
とまあ、そんな感じで僕はYOSHIKIのことを最初の頃は「ガリガリで突っ張ってるだけの情けない奴」みたいに思っていたのだ。でもまだはっきり存在を認識してただけTOSHIよりましかもしれないが(笑)。ところが、そんな情けない印象の2人がガラリと変わったのは、入学から3カ月たった6月のある放課後だった。友達に誘われて軟式テニス部に入部した僕は、いつものように体育館の横をみんなでランニングしていると、中から轟音が聞こえて来た。もちろん中学時代から、高校に入ったらバンドやりたいと思ってたので、テニス部の練習は放っぽり出してすぐさま体育館の中に入った時、僕は目を疑った。あの情けないと思ってた林(YOSHIKIのこと)が狂ったようにドラムを叩いてるじゃん!それも普通のドラムセットじゃなくて、ツーバスでタムが一杯ならんだ(要するに今のYOSHIKIのドラムセットとほぼ同じような配列)のをガンガンに。まず何よりも先にYOSHIKIが目に飛び込んできたのだが、次にキンキン声のハイトーンで、当時流行っていたレインボーというハードロックバンドの「アイサレンダー」というヒット曲をすごく楽しそうな表情で歌っているTOSHIを見つけた。彼らは高校に入ったばかりの春の文化祭で演奏する唯一の1年生バンドとして、体育館でリハーサルをしていたのだ。
僕は中学3年間はほとんどビートルズ漬けってぐらいビートルズしか聞いてなかったが、アワコーの同じクラスで館山出身の奴らの間では、ハードロックが流行っていたらしく、レインボーとかもクラスメイトの影響で少し聞いていたが、実際にバンドで見たのは初めてだったので、それも衝撃的だった。ただし、みなさんも納得するとは思うけど、いくら高校1年生とは言え、そのバンドにYOSHIKIとTOSHIがいたのだから今から思えば当然と言えば当然である。
その後の柔道のクラスの最中に、僕がYOSHIKIとTOSHIを見る目が変わったのは言うまでもない(笑)。そしてそれから数カ月して、僕が彼らのバンド「NOISE」に入ることになろうとは全く想像もしていなかったのだ・・・。
続く